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こんなにも、愛しているのに
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12:2008/02/15 AM09:45


 一番初めにこの教室を出て行った藤堂花子(16番)の背中から視線を外した。新たに支給されたデイパックを彼女は手にしていたようだ。バタバタと激しい音を立てて廊下をかけて行く音がする。そういえば、彼女はあまり運動が得意ではなかった。細身でいつも人と目を合わせることができないほどのシャイ。それが災難してか、あまり多くの友達はいなかったようだ。最近は高瀬暁(14番)と一緒に話していることを多く見かける。言葉少なくとも通じあう何かがあったように見受けられた。


 柊明日香(20番)が頭を拳銃で撃たれて死んだ。あの時は担当教官の冷泉院閏に抱き込まれていたので直接その光景を目にすることはなかった。血のにおいを、彼女から漂ってくる山茶花の香がかき消したのを覚えている。西園寺湊斗(07番)が死んだことも、思い出すだけで吐き気がするので極力思い出さないようにした。人の首はかくも簡単に折れ曲がるものなのかとさえ思ったほどだ。おそらくあの大柄の右京とか言う女にとっては、たかだか高校2年生の(と言っても湊斗は平均よりも大きいほうなのに!)首を折るのは、不要になったかかしをへし折るのと同じぐらい簡単なのだろう。

 どうにかしてこの状況を打開しなければいけない――黒木明史(06番)の思考回路はすでにシフトチェンジを完了し、次にやるべきことを模索していた。
 明史は自分のポジションから視線だけ動かした。教室の後ろのほうで残ったクラスメート全員が床にまとまって座っているものだから、密度は高い。真っ先に見たのはほとんど目の前にいる栗原壱花(05番)だった。ソフトボールでは右に出る者もおらず、その明るいひょうきんな性格からか、クラスのだれからも絶大な信頼を得ていた。分け隔てなく話しかける壱花とはよく話したものだった。彼女と組むことができたなら、こんなクラスメート同士の殺し合いなんていう馬鹿げたことへの打開策が切り開けると思うのは過信ではないはずである。
 彼女に話しかける前に考えなければならないことがある。まずは今後どうするか、だった。明史はもう一度壱花をみる。彼女は同じソフトボール部の桜庭妃奈(09番)、穂高いづみ(23番)、里見香春(11番)と肩を寄せ合っているようだ。どうやらいづみの風邪が深刻らしく、彼女は何度か咳をしては妃奈――皆はいつも彼女のことをひぃさんと呼んでいた――にその背中をさすってもらっていた。

 ――っ!
 冷えた手を背中に入れられたような悪寒がした。
 “あの人”はこっちを見ている、俺は見られている。監視されているのだろうか。
 何も気づかなかったふりをするのはあまり容易いことではなかったが、明史は視線を自分の足元に落とし、精神を集中させることに努めた。


 そうしている間にも中村修司(17番)の名前が呼ばれた。出発の2分間インターバルが来たということだ。2分間というものは長いようで非常に短い。修司は隣に座っていた塚本雫(15番)の耳元でそっと何かをささやくような仕草をすると、ゆっくりと立ち上がって仮面の女のほうへと歩いて行った。不思議なことに、明史から見た彼の背中はちっとも小さくなかった。それは彼の信ずるキリスト教の――神の――加護の力か、それとも幼等部からずっと仲の良い雫への信頼か。彼の小さな体躯があれほどの大きい存在になるとは夢にも思わなかった。
 彼は支給バッグと私物のバッグ、コートを受け取り、前方の扉から出て行った。彼は一度さえも振り返らなかった。扉から出て行ったが最後、もう会えるかどうかわからないという不安が明史にはよぎっていた。

 明史は小さくかぶりを振った。そしてから頭の中にある計画を思案し始める。しばらくした後、彼は決意したように唇を噛む仕草をした。
 もう一度栗原壱花のほうを見る。彼女は左腕で風邪をひいているといって何度もせき込んでいる穂高いづみの肩を抱いていた。そして右腕は同じソフトボール部のマネージャーをしている里見香春に強く抱かれていた。まるで保育園にいる保母さんと子供のように、彼女は慕われていた。


 そうだ、いつだって彼女は明るく正直で純潔無垢そのものであるのだ。
――「よろしくー! ウチ栗原壱花っていうんだけど、名前は?」
 であった頃の壱花は、自分と同じぐらいの長身、こんがり焼けた黒い肌にショートの髪の毛、何よりも自信に充ち溢れたような釣り上った眉毛が特に印象的だった。
 この国の人間に特有である島国根性と、学力が全国でも屈指であるというプライドが相乗効果になり、菊花学園の人間はだいたい外部の人間を拒む習性がある。それにもかかわらず、栗原壱花は無遠慮にクラスメートに声をかけてはコミュニケーションを展開していった。
 最初はただ友達がほしいだけなのかと思ったが、1カ月ほどしていくとそうではないことが見て取れた。さすが全国レベルであるソフトボール部に入部するために来ただけあって、リーダーシップとその運動能力はずば抜けている。同じスポーツ推薦で学園に編入してきた桜庭妃奈や穂高いづみも壱花に引けを取らない能力を持っていたが、壱花は誰よりも社交的で、誰よりも愛されていた。
 人間誰しも嫌いな人や苦手な人はいるだろう。だけど一体全体誰が彼女のことが嫌いだろうか?はじめは疎ましく思っていても、2年生の後半となればクラスは、いや、学校中が彼女を愛していた。

 ……そう、誰もが彼女を愛している……。
 明史はかつての出会いをひとほんのひと刹那だけ思い出した。――いや、これは心のなかにとどめておこう。


「18番、名波高良君」
 名波高良(18番)の名前が呼ばれた。彼は自分のボストンバッグを肩にかけ、ゆらりと立ち上がった。つかみどころのない彼らしいゆったりとした歩き方。学ランの下に着込んだパーカーのフードを直したところで彼は冷泉院閏の前に立った。
 3回受けると即強制退学という恐怖のレッテル・警告書を既に2回受けているために(理由はピアスと授業怠慢だ)、今年いっぱいで退学するのではないかという噂がまことしやかにささやかれていたところだった。プログラムに放り込まれるくらいならきっと、退学していたほうがずっと良かっただろう。
 それにしても中等部のころは優等生の鑑みたいなような人だったのに、なぜ今――そう考えているうちに高良は教室のドアから消えていなくなってしまった。猫みたいにどこかにいなくなっては突然現れる。学級委員長としてクラスメートのことは把握しているつもりだった明史にとっても、高良は不思議な人だった。


 視線をもう一度ソフトボール部の集団に移す。先ほど明史が考えた計画には、どうしてもクラス全員の信頼を受けている壱花の力が必要だった。いや、“壱花がいなければ”そもそも機能しない計画だった。幸いにも明史と壱花は連番で、そのタイムラグは2分。のちに出発する桜庭妃奈や里見香春のことを待つに違いないから、必ず遭遇できるチャンスがある。彼女を拾うことには絶対の自信があった。
 後はどうするべきか。"人は多ければ多いほどいい"。
 不意に明史は息が詰まった感覚に襲われた。里見香春と目があったからだ。彼女の垂れた大きな眼で見つめられると、いつもおかしな感覚を覚えるのは奇妙か否か。香春は目を細めて声も出さずに嗤った。

――計画を、計画を実行しなければならない。
 "should"ではないのだ。それは"must"である。明史はこぶしを握った。2月中旬にして教室には小さなストーブが4台しかない。誰もが寒さと恐怖に身を震わせているはずなのに、明史は全く動じていなかった。
 そうだ、そういえばこれはプログラムだったんだっけ。
 菊花学園はクラスごとの隔たりがとても大きく(なにせ学力順でクラスが構成されているため)、部活をやっていない限り他のクラスと交流がない。そのうえテストの成績順にクラス構成は変動するが、最下位クラスの虹組となるとほとんどメンバーは変わらない。だからこそクラスメート同士の結束力は比較的固く、他のクラスよりは仲は良かった。

 誰かは親兄弟のことに憂いているだろうか。それもそうだろう、いまだに誰かの小さなすすり泣きが聞こえてくる。これから自分が死ぬかもしれない、そう考えるとやけも起こしたくなる。しかも自分たちは高校2年生で、特別に選出されたクラスであるという理不尽な理由付きだからいたしかない。
 誰かはこのクラスが選出される理由となった一ツ橋智也(21番)に恨みを抱いているだろうか。明史は右手方向に胡坐をかいて座っている智也を見た。座禅を組んでいるのだろうか、後ろからでは見えない。すらりとした背中は決して丸くなっておらず、周りのことは全く気にしていないように見えた。それが彼らしい、わが道をまっすぐ行く性格から生じることは知っていた。
 だが彼は危険である。いくら彼が転落(上位クラスから下位クラスに落ちてくることを、皮肉を込めて転落という)してきた時から仲が良いと言っても、明史は自分の計画に智也を入れることを考慮に入れていなかった。


 考え事しているうちに萩原伊吹(19番)の「うるせえ!」という大声で我に返った。体は小さいくせに態度はでかいとは言われて久しく、彼らしい意地っ張りな態度で教室から出て行ってしまった。

 木のはがれたフローリング、使い古されてチョークの跡が残る黒板、木でできたロッカー、鉄板で覆い隠された窓、ここは閉塞空間、息がつまりそうだった。耳を澄ませば――水の音がする。
「ひっ」
 明史は座ったまま後ずさりした。驚いたのは彼の周りにいた人のほうで、高砂巴(13番)が「大丈夫ですか? 明史さん」と声をかけてきた。彼女のつややかな手が明史の頭をなでた。
 ――膝を抱えて座っていた、その足の間にできた陰から延びた手が彼の首に一瞬で手をかけた。
「だい、じょうぶ」
 そうだ、ここは水のある場所、水が近い場所。先日の雨が川のかさを高めたのだろうか、やけに大きく轟く音に明史は身悶えそうな衝動に陥った。
「大丈夫、俺は大丈夫だよ。ありがとう、マダム」自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


『自分が、生きるとか死ぬとかじゃないんだ』

 到達する場所よ――善悪の彼岸たれ。





Gate 1 Fin.

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