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こんなにも、愛しているのに
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19:2008/02/15 AM11:20
 股間の辺りの激痛によって一気に我に返った。暴れていた塚本雫(15番)の足が偶然にも最悪に神田雅人(03番)の股間にヒットしたとのことである。雅人の腕から力が抜け、その瞬間に雫は陸上部ご自慢の俊足で逃げていってしまった。
 防御的な行動に則って動いた足がたまたまヒットしたとはいえ、雅人はしばらく頭が真っ白になっていた。しかしそのこともあってか、自分が今、塚本雫の首を絞めようとしていたことに気づくのに時間がかかった。

 指の痙攣が止まらない。首を絞めたときに脊髄の神経を損傷したのだろう。震えがとまらない。確かに今は2月でもっとも寒い時期ではあるが、それでも静岡の冬はほかより穏やかである。これほどまでに大きな震えをもたらすような寒さではない。
 震える手で首元を触れてみた。ああ、俺は首をつろうとしたのに。この有名な早咲きの桜の太い幹に縄を取りかけて。もう、20回以上首をくくるのに失敗した。やっと踏ん切りがついたかと思えば、塚本雫に邪魔されて意識を取り戻してしまった。後遺症があるとはいえ、まだ、生きている。なぜ?


 高校2年生にしてプログラムに選ばれてしまったのも、必然だったと考える。やはり悪いことをした人間は、それ相応の罰を受けるのだ。
 今まではその罰がなかったから、自分は許されたのかと思っていた。けれども……。
 高良君、僕が君をすべて壊してしまったんだね。僕は、その罪を償いたい。僕の死をもってして。


 名波高良(18番)。ぼさぼさの長髪に左耳のピアス、眉毛のない能面のような表情。夜には絶対に会いたくない幽霊のような風貌。それでいてクラスメートにも敬語を使って話すジェントルマン。つかみ所のない人として有名だった。その風貌から、異端児を淘汰したがる学校からすでに退学を命ぜられていて、高校3年生からは別の学校に通うはずだった。
 今でこそ見てくれはこのようであるが、このようになってしまったのは高校1年生になってからだった。高校生になる前の中等部では上から2番目の優秀なクラス・竹組に所属していて、著名な天才バイオリニストだった。風貌も今の馬面の面影が残っているといえど、よく笑うすっきりとした好青年であった。

それを壊したのは、紛れもなく、僕だ。


――


 菊花学園初等部6年生のころだった。当時から引っ込み思案で意思表示力が弱かった雅人は、クラスでも影の薄いほうだった。校庭で遊ぶのもほとんど一人だった。それよりも音楽室で楽譜を見ているほうが好きだったので、雅人はよく音楽室にこもっては楽譜を暗誦していた。
 ある日の昼下がり、放課後家に帰る気もなく、音楽の先生にグランドピアノを弾かせてくれと懇願し許可をもらって一人音楽室に閉じこもっていた。猫背のまま弾いたグランドピアノが心地よかった。
「きれい。上手ですね」
 そんな声とともに部屋に入ってきた男子生徒がいた。雅人は驚いて思わずグランドピアノのふたを閉める。「何で閉めるんですか? 弾き続けていてよかったのに」と声の主は残念そうに肩をすくめた。
 それが、名波高良だった。

 一応クラスメートであるのだが、おそらく彼は自分のことを覚えていないだろうと当時の雅人は思った。
 なぜなら彼は最近準鎖国的なこの国が唯一出場する世界的に有名な全年齢バイオリンコンクール青年の部で見事11歳にして最年少優勝を飾ったのだ。それゆえあちらこちらのコンクールや演奏会に引っ張りだこで忙しく、ここ最近はめったに学校に来なかった。
「神田君、ピアノうまいです」
「えっ……な、なんで……僕のこと知ってるの?」
 雅人は高良がテストの点数も優秀で、かつ背も高くスマートだったことを思い出した。特長などなくとも、人のことをよく覚えられるのだろうと。
「君のピアノ、好きですから」顔をほころばせてそう言った。
 彼は持っていたバイオリンケースから楽器を取り出すと、ピアノの横に着いた。――ああ、テレビで見た姿がここにある!――いつ自分のピアノを聴いたことがあるのかという疑問さえ吹っ飛ぶほどの感動が訪れた。

 大勢が見守る大ホールの中で一筋のスポットライトを浴びた彼の姿がそこにある。ブラウン管の向こうで、触ることができなかったみんなの憧れが、そこに……!
 テレビの解説を鵜呑みにするなら、両親が著名なバイオリニストであるがゆえに幼いころから英才教育を受け、バイオリニストとして確実にレッドカーペットを歩いていたようである。バイオリンの腕前だけではない。とても11歳に見えない背の高い大人びた容姿と学力が評価され、学校中の脚光を浴びた。それでいてその栄光を鼻にかけることもなく、テレビアナウンサーが自分の名前の発音を宝物のたからと同じように読んでいて怒り、周囲を沸かせたほどの役者でもあった。(本人に言わせれば、アイスと同じイントネーションらしい)


 あまりにも雅人が高良のバイオリンを凝視しているためか、高良に「やってみます?バイオリン」と誘われた。それが、雅人と高良とバイオリンの出会いであった。
 はじめは、それはそれは下手の極みだった。雅人は下手の横好きといわんばかりにとりあえずやってみる、という楽観的な思いを持っていたが、次第に上達していくのが面白くなり、レクチャー本を買ったり忙しい高良に見てもらったりしていた。

 中学に入ると、本格的にバイオリンを習うことにした。週2回のレッスンに通いだし、かつ毎日練習できることが楽しかった。それに、高良が一緒に練習してくれたからより楽しかった。今までずっと一人ぼっちだったが、バイオリンと高良さえ一緒にいれば、もうどんなものもいらないと思っていた。
 勉強そっちのけでバイオリンのレッスンに熱中した。先生からはここまで伸びるのはすばらしいと絶賛されるほどだったので、多少成績が悪くなっても両親は許してくれた。
 雅人は高良を目指していた。高良のようにステージの上でも爽やかな笑顔がまぶしく映るあのような姿になりたい。高良のようにうまくなって他の人にバイオリンのすばらしさを教えてあげたい。高良のように地位も名声もほしいままにしたい。

 高良のように――


 羨望が、いつか妬みに代わっていったのを、雅人はまだ自覚できなかった。
 自分と高良の越えられない溝に気づいたのは中学3年生の春だった。
 雅人は受験のことで悩み、同時にバイオリンの大切さの如何についても悩み始めた。クラスは竹組と虹組とたがえど親友同然の高良は相変わらず好成績を維持し、衰えという言葉を知らぬままバイオリン生活を続けている。

 それに比べて雅人はどうだろうか。コンテストに出場しても満足な結果が得られない、いわゆるスランプに陥っていた。高良はそんな雅人を見て「僕にもそんなときがありますよ。完璧を求めないことが大事です」とアドバイスをくれたこともあったが、それが逆にプレッシャーになっていた。高良のように、スランプのない(少なくとも表出されない)人生がうらやましかった。
 圧倒的なキャリアの長さ、10年に一度出るかでないかの逸材とうたわれる才能、バイオリン教養環境の違い、どれをとっても高良は雅人より突出していた。自分はどんなにあがいてみせても彼に勝つことはおろか、届くことも出来ない。指をくわえてその光る石を眺めるしかないこのもどかしさ。同じコンテストにも出られないほどの格の違い。
 越えられない溝が、いつしか嫉妬という粘着液体で埋まっていく。


 そしてまた、あのコンテストの時期が訪れた。高良が最年少で賞を勝ち取ったあのコンテストだ。
 中学生になり成長期に再び入った高良は、そのときですでに175センチの長身痩躯でやはり大人びて、見るものの眼を圧倒させた。
 雅人は高良に頼まれてマネージャーとして会場に入ることとなった。いつも付いて回っている親が、たまたま会社の用事が入ってこられなくなったそうだった。雅人としても、この国を飛び出して諸外国の弾き手をお目にかかれる唯一のチャンスなので、二つ返事で承諾した。

 リハーサルのとき、高良の姿を舞台袖から見ていた。無伴奏バイオリン・ソナタ第1番ト短調。暗闇のコンサートホールに灯された一筋の光がまっすぐに彼へと注がれている。黒いスーツに白いシャツ、胸元にピンクのバラをつけた彼の姿が本当に美しく、不可侵なるものに思えた。
 ああ、この人にはどんなことをしても叶わない。
 一通り課題曲を弾き終えて、彼は舞台袖に引き上げてきた。ピッチの調節も完璧。紛れもなく優勝しかない。彼こそがこの国の誇りだと、間違いなくそう思っていた。

「ごめん、ちょっとお手洗いいってきます」
 バイオリンをケースにしまったのち、高良は舞台の奥へと消えていった。緊張するのだろうか、やはり。冷たい手が雅人の手に触れた。
 その後姿は決してゆがまず、いつにも増して秀麗だった。この人は間違いなく優勝をする。そしてまた全国的に名の知られたバイオリニストとなる。そしてまた、僕からの距離が離れていく――雅人はケースにしまわれたバイオリンをもう一度取り直した。そして、チューナーで完璧にそろえられていたペグを緩めた。
すべてのペグを、緩めてしまった。

 いよいよ本番、高良は最後から2番目だった。高良が舞台袖から出てきたときの拍手はひときわ大きかった。それは期待の大きさを表しているのと同じである。そうだ、彼は期待されている。わが国のバイオリン業界、ひいては全世界からも。

 高良にまっすぐスポットライトが当たる。高良の肩が上下に動き、深呼吸したのが分かる。そっとバイオリンと弓を構えいざ手を動かした。
 途端、彼は何かに気づいたようにはっと眼を見開き、一音も出さずに演奏することをやめた。
 会場がざわつく。高良はその姿勢のまま固まる。


 何を思ったか高良はすっとその姿勢を解き、楽器を高く持ち上げたかと思うと、刹那、ステージにバイオリンを叩きつけた――

 あれからだった。高良が学校に来なくなり、高校に入って姿を見せたかと思ったときにはすでに今のような体たらくになっていた。バイオリンに対する情熱を失い、アウトローとなってしまった。
 あのコンクールは、なぜか表向きには「暗誦不足」というありえない自体の方向で話が丸まっていっていた。あの地位も名声も手に入れた彼は、階段を転がり落ちるように衰退していった。


 雅人は自分のしたことを恥じた。自分がチューニングを変えてしまったから、彼は演奏できなかったのだ。羨望や妬みが入り混じって二人の間の溝を埋めたかと思えば、それはあまりにも粘着性が高すぎて、こちらから溝を渡ることも出来ずあえなく沈んでしまった。
 彼の才能をつぶしたのは間違いなく自分。この1年半以上、雅人は自分を責め続けた。高良に打ち明けようと思ったことも何度もあった。しかし言えなかった。彼は頑として「自分の能力不足だ」と言い張るからだった。それにしては雅人から距離を置き、口も聞かなくなってしまった。明らかに、高良は雅人のしたことを知っている。知った上で、無言の攻撃を繰り返している。

 雅人はまだバイオリンを続けている。成績こそ高良に遠く及ばねども、国内でもなかなかの名を馳せている演奏者だ。その人が他人のコンクールで演奏の邪魔をし、その人生をかき乱したとしたら?今の自分の築きあげたものがすべて失われてしまうに違いない。
 恐ろしかった。たとえ人の人生を壊しても、自分の人生を壊されることが恐ろしかった。
 結局、自分が大好きだったのだと雅人は気づいた。親友同然の友達を、いや、ライバルを消し、身の保身に走る。どうしようもない最低な人間だと頭では分かっていても、保身はやめなかった。
 高良の顔色をうかがう毎日が続いた。いつ本当のことをばらされるかわからなかったからだ。


 しかし、もう彼の顔色を伺う必要もなくなった。プログラム――用意された死に場所。運命の神様は僕に死ねといっているのだと雅人は気づいた。だから、20回以上死のうと試みた。
 しかし死ねなかった。勇気がなかった。心のどこかでは、まだ生きたいと思っていた。
 死にたい、どうしたら死ねるのだろうか。この生きたいと思う心を徹底的につぶすような方法はないのだろうか。震える指先をじっと見つめながら雅人はぼんやり思考をめぐらせた。


「――あ」
 何か思いついたように彼は顔を上げる。薄暗い曇り空、その中央に翳り始めた太陽が見えた。
 ――人を殺せば、僕は晴れて『死ぬべき人間』になれる。それか、誰かに殺してもらおう。

 指先はまだ痙攣を続けていた。
 もうバイオリンは弾けないな。雅人はそう思った。






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