忍者ブログ
こんなにも、愛しているのに
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

18:2008/02/16 AM11:10

  2月14日――渡し損ねた眠気覚まし用のミントガム。“あいつ”はこれが好きなのを知っていたからわざわざコンビニエンスストアで買ってきたのに、結局渡し損ねてしまった。

 塚本雫(15番)は封を開けて包み紙をはずし、一枚だけ口に含んだ。するとたちまち目の覚めるような爽快感が鼻と口腔内に流れ込んできた。本当は勉強合宿中の居眠りを防ぐためだとかこつけて自然と渡そうと思っていたのに、まさか勉強合宿すらなくなって、その代わりにかの悪名高い第68番プログラム(いや、高校生対象の特別プログラムだったか?)に選出されてしまったとは。運が悪いの一言じゃ片付けられない悪運だった。
 なぜ、私たちなのか。雫は妖気の漂う仮面をつけた冷泉院閏(担当教官)にそう尋ねた。映画の仮面舞踏会からそのままそっくり出てきたようなドレスは、誰かの血で既に染め上げられているかのような色をしてぞっとしたのを覚えている。
 理由は、簡単に言えば回答拒否。お茶を濁したような回答をされた。あまりに理不尽だった。

 出来るなら、もうプログラムのことは考えたくない。クラスメートの誰かと殺し合いをするだなんて、雫には考えがたいことであった。
 確かに雫はクラスでもあまり友達のいないほうの女子生徒である。まじめな生徒ばかりいるこの学校の生徒と比べて流行の髪型や服装、化粧をするのが好きで、注意処分を受けない程度に髪の毛の結び方やスカートの裾、自前のリュックなどを改造した。髪形に至っては一日とて同じだったことがない。唯一毎日同じものといえば、自作のパッチワークリュックと左目の下のほくろくらいだろうか。
 そんな「真面目じゃない」生徒に他の子は寄り付かず、かつ彼女は幼等部の頃から自分を偽るために嘘をよくつくため、あまり信頼されたことがない。虹組の中でもせいぜい気の置けない話し相手といえば幼等部からの友人でいつも一緒にいる中村修司(17番)と陸上部仲間・一ツ橋智也(21番)くらいだろう。

 それでも彼女は虹組が嫌いではなかった。日常生活に困らない程度には会話は出来るし、他の上等クラスの競争意識むき出しの殺伐とした様子より、いくばくか和やかであるからだ。だからこそ、クラスメート同士で殺し合いをするだなんて想像も付かなかった。

 これは嘘だと思いたくても、現実にはすでに3人のクラスメートが亡くなっている。西園寺湊斗(7番)、柊明日香(20番)、菊川優美(4番)――みな、殺された。湊斗は首を折られて死に、明日香は頭を打ち抜かれ、優美は銃声とともにもう二度と戻ってこなかった。恐ろしい。自分の出発の番が回ってくるまでの間、ともすれば発狂しそうだった。頭から大量の血を噴出して倒れた柊明日香を思い出すと身の毛がよだつ思いがする。明日はわが身、だなんてそんなこと思いたくないのに、想像力が遺憾なく発揮されたおかげでただの妄想よりリアルさが増した。

 雫は自分の手をぎゅっと握り合わせた。2月の空っ風が吹き込み、川沿いの土手を歩く雫に直撃する。あの小学校の古臭い建物にいたとき、この手をずっと握っていてくれたのは誰だったか――中村修司だった。彼の手もまた緊張で冷たかったにもかかわらず、彼は彼なりに励まそうと自分の出発時間までずっと手を握っていてくれたのだった。キリスト教プロテスタントにしては異例のロザリオを模したネックレスを手首に巻いてもう片方の手で握っていた。彼の祈りは神に届いたのだろうか。彼は目を伏せて、いったい何を祈っていたのだろうか。

 ああ、その手を離してしまったのは誰か。
 雫は意を決したように地図を支給バッグから取り出しひらいた。現在地は北部にある橋(地図には曙橋と書かれている)に向かって北上しているはずだった。そう、はずだった。彼女は重度の方向音痴で、誰かの手ほどきがないとその場所にいけないというひどく損をしている特徴があった。それが今では彼女一人きり。誰と会うかも分からないのに迷っている。焦れば焦るほど手のひらの汗は噴出してきた。
 とにかく、彼女が探したいのはただ一人なのに、その人を見つけるのには困難がついて回ることが明白だった。雫は方向音痴の自分を呪っていても仕方がないと悟り、あきらめてまた歩き出した。
 ふと、中村修司が出発する際に雫に耳打ちした言葉を思い出した。「教会で待ってるよ」。配られた地図には確かに教会のマークが示されていた。……彼女は首を振った。


 上田市を南北に流れる川が上田川と呼ばれている。すぐそばが伊豆半島の河口とあって、その川の面積は広い上に、川岸には大小さまざまな土砂が堆積していた。川のすぐそばを歩くわけではなく、遊歩道を歩くしかなかった。
 その歩道を北上していくと、B-03を縦断する曙橋へとたどり着く。橋の手前には太い幹の桜のような木がどっしりと構えていた。このあたり一帯は早咲き八重桜で有名であるのは地元が近い雫でも知っている。ああ、もうそんな時期なのか。濃い桃色のちりばめられた桜の幹をぼんやりと見つめて雫はそう思った。桃色と、ぽつんと浮かぶ黒色と――

「え?」
 思わず目を見開いてしまった。いつもコンタクト着用なので視力はいいはずだが、このときばかりは双眸を疑った。ピンク色の生えた桜の木の幹に、人がよじ登っているのが見える。
 誰かいる、と本能が警告音を発した。頭の中でサイレンが鳴り響き、興奮状態からか、そのはっきりとした黒い学ランが見て取れた。男だ。しかしそれ以上の詳細は見えてこない。
 その男子生徒は木の幹に一生懸命しがみついて何かを巻きつけているように見えた。するとたちどころに彼は幹から飛び降りた。その人影と幹を、紐のような影が繋いでいた。
「マジ?!うそでしょ!」
 思わず叫んでしまった。そのシルエットは確実に、人が首をつっている様子のほかにないからだ。彼女は陸上部で培った足を生かして疾風のごとくそのつるされた人のところに駆け寄っていく。あれは、間違いない。首をつっている……!
「ちょっと、何してんのよバカ!!」
 疾風迅雷のごとく、本気スピードを容易に超える速さで雫は川沿いを北上していった。そこに駆けつけるまで10秒もかかっていない。これを大会当日に出していればもっと良かったのにという軽いジョークも今の彼女の頭には浮かびもしなかった。
 ロープで首をつっていたのは、まぎれもなくクラスメートの神田雅人(3番)その人だった。ホームベースそっくりの顔が青ざめて目が上を向き、さらに身体中が妙に痙攣を起こしている。まだ息はあると瞬時に思った。雫はとっさに自分の支給武器が鎌であることを思い出し、デイバッグから取り出した。そして助走をつけ、木の太い幹を一気に蹴りあがると、そのままロープの上部に飛びつき、まもなく持っていた鎌でロープを切った。
 ドサリ、と勢いよく雅人の体が地べたに落下する。それほど高いところに体があったわけではないことだけが救いだったか、雫は正人が頭を打っていないことを見てから下りた。
「神田君! 神田君!」
 呼びかけてみたはいいものの、まったく返事はない。頭の中が混乱状態に陥った。まるで重要な試験にまったくノーマークの問題が出たときのようだった。
「心臓!」
 思いついたように雫は正人の胸に耳を押し当てる。しかしフロックコートの上からではとてもではないが鼓動の音は聞き取れなかった。頚動脈に手を当ててみると、わずかながらまだ鼓動が残っている。
 何をするべきか、何をするべきか、何をするべきか。勉強ばかりしてきたから、勉強以外のことはさっぱりできなかった。――だけど確か……!
「じ、じんこうこきゅう!」
 運動部は必ず受けなければならない人工呼吸講習を思い出した。陸上部ならよくある話で、夏場などになるとよく太陽光に負けて倒れる人が多かった。だが雫は人工呼吸を実際にやったことはない。それにマウスピースがない今、緊急時とはいえ口をつけるのは刹那ためらいが生じた。
「どっ、どうしよぉ……マジやばいって」

 右往左往していると、突然雅人がごぼごぼと吐しゃ物をこぼした。
「わっ! か、神田君大丈夫?!」
 青ざめていた顔が一気に悪化した。しかし彼はうっすらと目を開ける。雫はそれに気づくと、とにかく口の中を洗わなければと思い立ち、バッグの中に入っていた水を彼の口に含ませた。
 とにかく必死だったので吐しゃ物にだけは触れぬように身体の位置をずらし、「神田君、口の中洗って! とにかく意識もどしてぇ!」と半ば目に涙を浮かべて切実な願いを口にした。

 本当は逃げてしまいたかった。逃げてしまえば責任を負わなくてすむ。「マジで怖かったから逃げたんだ」と自分に嘘をつけば、それですべては終わるのに。このまま意識を取り戻せば良心が痛まなくてすむ。
 そう、嘘なんて今までいっぱい付いてきたじゃない。誕生日プレゼントは高級フランス料理フルコースだったとか、長期休みには家族で海外旅行に行っただとか、親戚は政府のお偉いさんだとか、我ながら驚くほどの嘘を重ねてきたというのに。
 この期に及んでまだ理性と本能の間で揺れ動いていた。


 雅人の口に含まれた水は咳とともに薄まりかけた吐しゃ物と再び出てきた。顔は今ではやせこけて、えらが強調された骨格となってしまい見ているだけで痛々しい。
 逃げてしまいたい。いや、いっそこのまま逃げてしまおう。この人はきっと死にたかったんだ。あたしはこの人を助けてしまったけど、彼の命はすでに風前の灯に等しい。このまま何もしなければ、彼はきっと死ぬ、それが彼の本望だ。これは嘘じゃない、そうだ、「嘘」じゃない。


 その時だった。唐突にひざをついて安否を確認していた手首を力強く握られたのは。
「きゃっ!!」
 あまりに強い力で右手首を握られたため、雫はつい素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし目の前では瀕死状態だったはずの神田雅人がむくりと起き上がろうとしている。彼女の目にはそれが完成したばかりのフランケンシュタインのように見えた。
「あっ……ああ……」
 あまりに強く、あまりに鋭くにらまれたので雫は言葉を発することができなかった。彼女はあまり雅人とは親しくないので詳しくは知らないが、少なくとも、このような光のない目で人のことを、ましてや女性をにらむような男だとは聞いたことさえない。

 続けて雅人はひどく低音の声で「俺は……」とつぶやいた。その声色は雫をさらに恐怖に陥れた。というのも、彼は常に穏健派で声を荒げるようなことは決してなかったし、ましてやバイオリンの優秀な奏者という名誉もある。
「いっ……意識戻ったんだね、よかったじゃん!」
 空元気でも懸命に励まそうと雫は笑顔を無理舎利作ったが、雅人のくぼんだ瞳に射すくめられてもうこれ以上何もいうことはできなかった。


「何で、僕は……生きて、るんだろう?」
 僕は自殺したはずなのに、というつぶやきも続けた。
「君が……助けてくれたのかい?」
 涙が溢れ出すのを止められない。雫は何かいやな虫の知らせがあるにもかかわらず、首を大きく縦に振った。
「そっか、ありがとう。塚本さん」
 いまだ暗い雰囲気を顔色に残すが、神田雅人はにこりと微笑む。

「本当に、余計なことしてくれたね」
 え、という暇もなく雫の細い首に一瞬にして蛇のような太いロープが巻かれた。雅人の細身の腕の筋肉が異常に盛り上がり、ロープの端を引っ張って雫の首を締め上げていく。
「かっ……」あまりに唐突なことだったので自身に何が起こっているのかもわからず、雫はひざ立ち状態のままただなされるがまま首を絞められているだけだった。自分が首を絞められているのだと気づいたのは、雅人の首にロープの網目がくっきり青あざとして残っているのを見たときだった。
 雅人は立ち上がり足で踏ん張ることによってさらに強い力をロープの引く力に加えた。それこそ本当に吊り上げる、といった状態で、雫の軽い体も徐々に吊り上げられた。
 ロープをはずそうとするが、あまりの強い力にどうにもならなかった。

 意識が遠のく。視界から色がゆらりと抜け落ち、鮮やかだった早咲きの桜の色が消えた。ああ、これはいけないのだと、いけないのだと思い、雫は必死に手足を動かした。足をばたつけたとたん、何かを蹴った。
「うっ……!!」
 急に雅人の手から力がすうっと抜け、雫は地面に落ちた。
「あっ……ああ……」
 何歩か後ずさりをしたかと思うと、脱兎のごとく立ち上がり、命からがらその場から逃げていった。



――助けて、助けて!!
 バレンタインに渡し損ねたミントガムをぎゅっと握った。






【残り21人】
PR
| prev | top | next |
| 29 | 28 | 24 | 23 | 22 | 21 | 20 | 19 | 18 | 17 | 16 |
attention!
 もうしわけありませんが、このブログは一気に読みたい方に不親切な設計となっています。
 各ストーリー末にあるprevやnextは使わないようにして、右カラムのカテゴリから逐一ストーリーを選んでいただくことになってしまいます。
 お手数をおかけし誠に申し訳ございません。

忍者ブログ  [PR]
  /  Design by Lenny