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こんなにも、愛しているのに
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16:2008/02/15 AM10:45
  ノアの方舟――
 アダムとイブによって生まれた人間の現在は、その子孫に脈絡と受け継がれてきた。ある日、神は人間のだらしない行いに憤怒し、下界にだれ一人生き残れないほどの洪水を起こすことを決めた。しかし神は慈悲深い心でもってしてノアという老人を見つけ、言われたには、子孫と動物をそれぞれつがいにし、船を作っておきなさい、と。
 ノアは神のお告げどおり、船を造り、そこへつがいの動物と子孫を乗り込ませた。
 神の洪水は40日間にも及び、すべてのあしきものは死に追いやられた。そして、善良なノアの血を引く者のみが地上に住まうことを許された。
 神は二度とこのようなことを起こさないと誓い、その証に「虹」をお掛けになられた。


 黒木明史(06番)は教室を一歩出たとたんに全力疾走を始めた。かつてテニス部に所属していただけあってその瞬発力はでは伊達でない。ひなびた作りの廊下を走る足が、今にも崩れ落ちそうだった。寒さのあまり、角膜が凍るように冷たい。吐く息が白く曇り、血管が収縮した指先はもはや使い物にならないほど冷たくなっていた。
 廊下に貼ってある矢印のとおりに階段を下りていくと昇降口が見えた。木製のげた箱には30人分ほどの上履きが残されたままだったように見えたが、明史は目もくれず、はやてのように通り過ぎて行った。

 彼にはやることがあった。それは「脱出」することだ。
 このような理不尽なプログラム、ましてや通常選ばれるはずの中学3年生ではなく高校2年生が選ばれたのだから、その政府の横暴さにはあきれて物も言えない。もとよりこの国のシステムには甚だ民主性がないとは思っていたが、国民の命を、しかも擁護されるべき存在であるはずの未成年の犠牲にして「徴兵制の一つ」だとよくぞいけしゃあしゃあと公言できるものだと思う。
 このシステムがあるせいで子供は中学3年生のクラス編成を憂わなければならない。「もし、プログラムに選ばれてしまったら、優勝できるクラスであるかないか」を考えねばならないからだ。その時は子供心ながらもクラスメートへの不信が生まれる。アイデンティティの形成時期と呼ばれる年代にそのようなプレッシャーをかければ、人を疑うことにためらいがなくなる子供になるという報告があるにもかかわらずだ。当然、政府の監視下にある情報網を通してしまえばそのような報告はなかったことになってしまうが。

 とにかく今必須のことは、この金網で囲まれているらしい場所から逃げることだ。
 担当教官と名乗った冷泉院閏はこのエリアの周りには軍人が囲んで見張っているという。しかしこのあたり一帯は住宅街なので、カモ撃ちの様になる可能性は少ない。
 問題は首輪のほうだ。
 外気に冷やされて氷のようになって首にまとわりつく銀色の首輪を触れてみた。どうやら国家自慢のものづくり技術とやらが立派な兵器に活用されているらしく、頸動脈パルスから生死を確認したり、GPS機能付きになっているようだ。万が一生徒が不穏な行動を見せたり、禁止エリアと呼ばれる場所に踏み行ってしまったり、あるいは24時間以内にだれも死ななかったりなどの制限時間に引っかかってしまった場合、これが爆発するそうだ。
 これを外さなければ、万が一脱出が見つかった時に政府側の人間の指一本で人が殺せることになる。それだけは避けたかった。
 そのために、明史は結城鮎太(24番)をメンバーに引き入れることにした。
 結城鮎太は、菊花学園高等部では知らぬ者がいないほどのスーパースターだった。アイドルというわけではないが、彼はこの国でも著名なロボットコンテストで、初出場で優勝した経験があるほどの、自称機械オタクなのだ。
 彼なら首輪を解体できるはずだと明史はにらんでいる。首輪さえ外せればすべてがうまくいくはずだ。
 鮎太の引き留めについてはすでに手を講じてある。彼が担当教官に呼ばれて歩き始めたときに、足をかけてわざと転倒させた。(彼は自分で足を躓かせて転んだと思っているようだが)
 あとは鮎太を手助けするふりをして脱出計画について書かれた紙を彼に渡すだけだ。鮎太がその手紙を無視するというケースも考えられるが、おそらくそれはないだろう。機械を作るのも好きな彼だが、同時に機械を解体してその内部の構造を知ることも好きだということを、明史は散々自慢されていたからよくわかるのだ。

 次に必要なことは、人集めである。
 いの一番に明史が引き入れようとしたのは出席番号が明史のひとつ前の栗原壱花(5番)。ソフトボール部のエースで高等部の女子のあこがれの的でもある。全国大会出場経験ありで、学力はいささか劣るが、それをもカバーし、さらには高めるほどの魅力はなにもソフトボールの腕前だけではない。外向的で人を思いやる力にたけている彼女は誰をも愛し、誰からも愛される存在である。
 だからこそ彼女が必要だった。明史もクラス委員長として担任制がないこの学校をハンドルしていくほどのリーダーシップがあり、そのために誰からも認められていたが、壱花がいればたいていの人は疑う心を忘れてしまうだろう。脱出をするのはより多い人数のほうがいい。

 鮎太をほぼ99%確保したと考えると、あとは壱花の確保が最優先される。
 そのために、明史は急いでいたのだ。2分先に出た彼女に追い付くために、全速力で走っていたのだ。
 だがそこまで緊迫したものはなかった。大概想像がつくが、壱花はあとから出てくる同じハンドボール部の桜庭妃奈(09番)、マネージャーの里見香春(11番)を待つに違いない。
 壱花を保護して、とにかく早く多くの人を集めて、首輪をはずし、脱出する。
 明史はこれを「ノアの方舟計画」と名付けた。


 時を同じくして、栗原壱花は昇降口から校庭のほうへ歩みを進めていた。出席番号が前になる菊川優美(04番)がいなくなったので、神田雅人(03番)の出発後、2分あけて壱花も教室を飛び出した。
 ある程度の覚悟はあったとはいえ、足が震えるほど気遣わしい話である。クラスメート同士の殺し合いなど、一体全体誰が想像できただろうか。あまりに現実離れした話なのでつい「これは現実なのか?」と誰かに尋ねたかったが、奇妙な仮面をつけて真っ赤なドレスを着た冷泉院閏を見たならばその気持ちは一瞬にして覚めた。これは、非現実世界。非現実世界だから、殺人の合法化という非現実的なことが成立してしまうのだ。
 これ以上争わなければならないのか――壱花は歩みを緩めて目を伏せた。
 確かに日々ほかの生徒とは争いをしていた。優秀なものが上のクラスに行くことができる成績順クラス分けシステムを導入している菊花学園では、競争のない日などあるはずもなかったほどである。一番下のクラスである虹組ではその競争は緩やかであったが、一つ上の桃組に行きたくてたまらない人も中にはいた。
 それが、今では血で血を拭うような争いを強いられている。無血だったころの学力争いは、なんと可愛いものだったかと改めて思い知らされた。
 もうすでに、3人の生徒が亡くなっている。壱花は菊川優美、西園寺湊斗(7番)、柊明日香(20番)のことを思い起こした。菊川優美は副クラス委員長だった。とはいえ仕事をしているところを一時も見たことがないが。それでも華道の家元の子で、普段落着きがない癖に華道の時だけは別人のように落着きを取り戻す。高瀬暁(14番)とは宗家と分家の関係で、暁と仲が良い萩原伊吹(19番)とはいつも口げんかをしていた。――そういえばこの場所に連れてこられる前も、学校に行く途中で2人が喧嘩しているところに遭遇したっけ。あっきー、背はすごく高いけど細いから迫力がないし、性格も性格だから気の強い二人の喧嘩を仲裁することができなかったんだな――

 西園寺湊斗は俗に言うアウトローな生徒だ。しかしクラスメートと不仲であるわけではない。確かに人を見下すきらいがある一ツ橋智也(21番)とはひどく犬猿の仲だったが、それ以外の生徒とは仲が良かった。ほりが深く野性的な顔をしているのだが、頬にはいつも絆創膏か傷があり、家庭の不仲さを如実に表していた。
 柊明日香は湊斗の恋人で、同じアウトロー所属の生徒だった。筋肉質の壱花にとっては羨望の的となるようないわゆるモデル体型で、普段はカッとしやすい湊斗のセーブ役を務めていた。独特なつり目から放たれる視線は矢を射ることがごとくであり、時々自分たちのグループ以外の人には厳しい視線を投げていた。
 壱花は各々の顔を思い浮かべた後にそっと冥福を祈った。

 昇降口のほうへ向きなおり、足をとめる。先に学校を出発した同じ部活の穂高いづみ(23番)がこのあたりで待っているのではないかと思ったが、どうやら徒労に終ったようだった。いづみは今、ひどい風邪をひいている。合宿に来ることを休むことを勧めたのだが、インフルエンザでない以上欠席は欠席とみなされるので、内申に響くからという理由で出席したのだ。

 マスクをしたまま時折ひどく喉にダメージを与えるような咳をしていたのを思い出した。目がうつろだったのも、風邪のせいかもしれない。彼女はおそらくこの近くにいると思うのだが……――迂闊にこの場を離れるわけにもいかない。桜庭妃奈が数分後にこの校舎を出てくるからだ。ソフトボール部の姐さん役として、そして副部長として自分を支え続けてきてくれた優秀な人。彼女とはぜひ一緒にいたかった。彼女に殺されるならそれでもいいとさえ思っていた。今までずっと仲良くしてくれた、気の置けない友人でもある。

 妃奈と合流してから香春を待とう。そうしてからいづみを探しに行くんだ。
 あの教室を出発する前に、香春に小さな声で話しかけられた。

「壱花、校舎を出たら安全なところで身を隠していて。そうしたら妃奈ちゃんと僕と合流できるから」
 今この状況と似つかわないような笑顔を浮かべて話しかけられたのに驚いたが、里見香春はあくまでも冷静を保っているようだった。ボブヘアーが揺れて垂れた目が隠れたのを見た。
彼女は同じソフトボール部のマネージャーを務めてくれた小柄な子で、とても女とは思えないような豪傑ぞろいのソフトボール部で、唯一女の子と言えるような可愛らしい子であった。自分のことを僕と呼ぶけれど至って普通の明るい子で、「僕は高校からこの学園に入ったから友達少なくて」と、いつも同じクラスの壱花の横をついてまわった。

 あの時、香春に指示をされて初めて「そうすればよかったのか」という思いに至った。もし香春が声をかけてくれなかったら、右も左もわからず路頭に迷っていたことだろう。香春のあの落ち着きようと的確な指示は、まるで体験談を聞いたことでもあるのかという感じがした。


「壱花!」
 校舎を出たあたりで突然声をかけられて壱花は縮み上がった。反射的に声のしたほうを振り返ると、学籍番号がひとつ後ろの黒木明史が息を切らしながら立っていた。
「あ、あけ……し、って、もー!寿命が縮まったかと思ったよー!!」
「ごめん、いきなり声掛けて。でもよかった、会えて」明史はほっとした様子で胸をなでおろした。
「壱花、俺と一緒に行こう。こんなプログラムなんかやらなくてもよくなるような考えがあるんだ」
 意気揚々とした顔つきで壱花に近づいてきた。それはいつものような大人びた明史ではなくむしろ子供が宝物を見つけたかのように輝いた笑顔だったので少し驚いた。両親を亡くし寮で一人暮らしをしている彼は、今までこのような子どもっぽいところを見せたことがなかったのだ。
「考え?」
 一瞬なんのことだかさっぱりわからないと行ったように眉をひそめた壱花だが、それにも構わず明史は壱花の手をつかみ、一目散に走り出した。





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