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こんなにも、愛しているのに
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05:2008/02/15 AM08:15

――夢を、夢を見ていた。
『ちゅうごく? あたし行ったことあるよ! この前お父様のしゅっちょうの時に連れて行ってもらったの!』
 えー!すごぉーい!私は今度ゴールデンウィークに家族旅行に北海道へ行くけど、海外なんていけないよぉー
『すっごいでしょ! あたしの家族はみんなすごいのよ! 大きいお兄ちゃんはもうだいがくせいだもん!』
 だいがくって、菊花だいがく?すごいね!お兄ちゃん頭いいんだね!
『あたしもね、いつか絶対にお兄ちゃんみたいに菊花だいがくに入って、えらい人になるのよ!』
 雫ちゃんって、すごいんだねえ!

 そうやって褒められるたびに、自分の舌にまた雑草が増えた。余計なことをしゃべればしゃべるほど、舌は雑草であふれ、膨張し、口腔を埋め尽くす。それなのに喋ることをやめなかった。まるで麻酔をさされたかのように、舌は毒気を帯びてますます肥大していく。

 みんなが賞賛した塚本雫に、真実など存在しない。

 本当は中国などに行ったことはなかった。父親も万年窓際課長の全国代表みたいな人であった。年齢の離れた兄は大学受験に失敗し、勉強するわけでもなければ定職に就くわけでもない、いわゆるニートであった。間にいるほかの兄弟も、できの悪いものばかりが揃っている。母親は普通の専業主婦。取り立てて美人だとかいうことは一切無い。顔のにきび跡をいつまでも気にしているような人だった。
 本当は、こんな幼稚舎に通っていることすら不自然であった。「うちんちは貧乏なんだから」が口癖のくせに、両親は末娘を莫大な費用がかかる菊花大学付属菊花学園幼稚舎に通わせている。周りを見渡してみれば、年収2000万は軽い親を持つ子供ばかりで、誰もがみな気品というものをこの歳から身にまとっていた。
 長期休みには必ず皆、どこかの別荘へと旅行へ出かけていた。だから夏休み明けなどの登校日が嫌いだった。決まって自慢話が始まるからだ。当然自分が遠出するわけがない。旅行など行ったためしがない。せいぜい隣の県にすむ祖母の家に行くくらいがせいいっぱいの遠出だった。
 自慢話が繰り広げられると、必ず聞かれるのだ。『雫ちゃんのおうちは、どこかに行ったの?』と。
 どこにも行ってないと答えた時の、質問者から返ってくる反応は容易に推測される。不憫そうに見つめる目と、『あ、そうなの? ごめんなさい』と哀れみがこもった小声で、しかし恥ずかしげに呟く。だから嘘をついたのだ。嘘に嘘を重ねては、自らを着飾ってきた。嘘のシールを張りすぎて、本体がどれであるかさっぱり分からなくなるほどに。

 塚本雫の主成分は嘘からできています。その他の成分として、たんぱく質、水、炭水化物が含まれています。

 嘘が嘘を紡ぎ、また嘘を絡め取って嘘を作る。そのスパイラルが手を作り、足を作り、内臓を作り、顔を作る。嘘をつくことは整形手術と同じなのだ。自分にない人工物を取って埋め込む。そうして着飾った先にある美を求める。いつまでもきらびやかに美しくあるため、嘘はいつでも綺麗なものだ。
 だから彼女はキレイだった。いつも笑顔で楽しそうに生活をしていた。決して厭世の気持ちなどなかった。

『ぼくは、旅行には行かなかったよ。旅行の費用がなかったからね』
 しかし、たったひとりだけクラスに正直者がいた。あまりにもあっけらかんに、愚直に答えるものだから、みんなはやはり『ごめんなさい』と意味不明な言葉を発した。
 当時まだこの世に生まれてから5年ぐらいであったにもかかわらず、聖者を見つけた気分になった。眠りに落ちるとき、いつも母親が聞かせてくれた物語の中に彼はいた。聖地を見つけて涙を流す、聖者だ。そうだ、聖者は、嘘をつかず、子供ゆえの残酷な言葉裏の皮肉にも耐えて、ただただ、笑っていた。
 中村修司。
 しーちゃんと呼んで、にこりと笑って。ああ、ごめんね、ごめんね、ごめんなさい。


「しーちゃん、しーちゃん。大丈夫?」
 塚本雫(つかもと しずく・15番)は自分のあだ名を耳元でささやかれるのを聞いて目を覚ました。たとえ幼いころの夢を見ていたとはいえ、あまり思い出したくないものだった。
――嘘つき族と、正直族
「シュウ……」
 嘘つき族は、目の前で困り顔をしていた中村修司(なかむら しゅうじ・17番)に飛びついた。高校2年生とは思えない小柄で線の細い身体は、学ランの上から触っても分かるほどコツコツしていた。ぶつかった胸元に硬いものが当たる。彼の豪奢なロザリオだ。学ランの下に潜めた厚い信仰心の証。人を疑うことを知らず、純朴に生きてきた証。敬虔なキリスト教徒である彼は、雫が悲しいときもつらいときも、いつも暖かく抱擁してくれた。大切な支えてくれる人。
 その笑顔はまぶしかった。ごめんなさい、ごめんなさい。一緒に悩んで、一緒に泣いてくれる、男とは到底思えない人。嘘つきに友達がいないのを知っていて、自らの身を呈して”トモダチ”になってくれた人。幼等部時代からずっと隣にいてくれた人。


「あれ、あたしそういえば何を……」
 首に回した腕を解いて、雫ははっと顔を上げた。そういえばやたらと解放空間にいる気がする。自分たちは虹組の皮肉な特権である小さなマイクロバスに乗って学校を出発し、勉強合宿に向かっていたはずだ。
 周りを見渡してみる。ところどころみすぼらしく凹んでいる木のフローリング、机などは一切見つからないが、白いチョークの粉を残したままの黒板を見るところによると、おそらく教室であるように思える。こんな、踏めば凹むような古臭い場所には生まれてこの方一度も入ったことがない。一瞬廃墟なのかと思ったが、蛍光灯が点滅せずについているのでその疑問は消去された。その明かりの下では、何人かの人が折り重なって倒れている。その隣に、各個人の荷物だろうか?大き目のバッグが置かれていた。
「え……? これ、何これ!? みんなどうしたの?」
 確かに自分らはバスに乗っていたはずなのだ。雫は目を閉じて、できる限り記憶のテープを巻き戻す。


 駅で修司と待ち合わせをし、学校まで歩いてきた。その途中で通り道にあるドーナッツ屋から朝比奈悟(あさひな さとる・01番)が出てきた。挨拶をしたが一瞥されたあとに無視された。彼は早朝のアルバイトをしていたのだと思い出す。ドーナッツ屋のガラスに張っているアルバイト募集の紙には、朝5時半から7時までの早朝アルバイトの募集ポスターが張ってあった。彼の家庭事情を考えるとねぎらうのも悪い気がして、雫と修司はそのまま朝比奈悟の後姿を見送った。
 修司と他愛ない世間話や昨日見たテレビのことを話しながら学校にたどり着いた。バスに乗り込んだときはすでに半分ぐらいの席が埋まっていて、クラス委員長である黒木明史(06番)が出席確認を取りに来た。バスの前方の席に座り、用意していたバレンタインのチョコを修司に渡した。昨日の放課後を丸々消費して作った甲斐だけあって、かなりの力作だった気がする。顔を真っ赤にしている修司をからかうのが楽しかった。
 全員揃ったからと委員長の明史が生徒会に報告し、バスが出発した。これから熱海の旅館を貸しきっての勉強合宿だということだった……はずなのだが。バスが動き出してしばらく修司とイヤホンを共有して音楽を聴いていた。そのうちになんだか眠くなって、こくりこくりと舟を漕いでいるうちに……。


「分からないけど……なんだか変なことには……なってる」雫の疑問に修司が答えた。
 みんなを起こそうか、と彼は続けたので、雫はうなずいて周りの人を起こしにかかった。近くにいたのは藤堂花子(とうどう はなこ・16番)と井沢望(いざわ のぞみ・02番)の2人だ。いつも綺麗に櫛が通されバレッタで止められている花子の髪の毛が、かわいそうに、今は乱れていた。雫は2人の頬をぺちぺちとはたいて声をかけた。
「のんちゃん、花ちゃん、起きて、起きて!」
 どうやらバスの席が近かった人がこの教室のような部屋でも近くにいるようだ。実際、2人は席が雫たちの前だった。2人は徐々に目を開けて、特に望は大きく伸びをして上半身を上げた。一方で花子は冷たい床に震えたようで、身震いをさせた。
「はわわわわわ!!! 塚本さんじゃないですかああ!! あ、あの、私、ごめんなさいい!! バスでシート勝手に倒しちゃって……怒ってますよね、怒ってますよね?! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
ねじを巻き終えた人形の初動が活発であるように、藤堂花子は大声で勢いよく謝罪し始めた。
「あんな狭いバスの中なのに私が塚本さんの空間をより狭くしてしまったんですよね!! ごめんなさああい! 許してくださあああい!!」
「花ちゃん、花ちゃん!! 落ち着いてよ! あたしゃそんなことちっとも気にしてないから!」
「お世辞も社交辞令もいりませんよぉおおごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「花ちゃん落ち着いて……」
 雫は普段余り修司以外の人間との交友関係は狭く浅いので、仮に花子がこういう大袈裟な性格だとは知っていたとしても、どう対処していいのかはさっぱり分からなかった。
「花子、うるさいよ」
 ポツリと冷たい声が花子の叫びを一刀両断した。今まで花子の隣にいた井沢望だ。
「ハ……ハイッ! ごめんねのんちゃん、静かにしますね!」
 花子は背筋をピンと伸ばし、敬礼した。しかしその顔はうれしそうである。そういえば2人は同じ新体操部で仲がよかったんだっけ、と雫は思い出した。

 その思考が途切れたとき、はっと顔色を変えた。雫はすぐに身を翻し、あたりを見渡した。アイツを見つけることは容易い。誰も持っていない明確なアイツらしい外見的特徴があるのだから。
 見つけた。しかし駆け寄らなかった。修司は雫のことをじっと見ていたからだ。彼女はうつむくと小さく首を振った。

「ふぅん……この部屋は妙だな。あまりに狭すぎる。目測ではあるが虹組の教室より縦2メートル半、横3メートルほど狭い。別の場所であろうことが考えられるな。それにこの首輪は……」
 望はゆっくり自らの首に手を触れた。そして続ける。
「分からない。今まで見たことがないもの」
 スカートのポケットから小さいメモ帳を取り出したかと思うと、花子の首元をじっくり見て観察してはメモ帳にスケッチを書き写す。
「ふえええ!!! 私首輪なんかしてませんよおお!! あ、アレ? 私してる? あ、あれあれ?」
「いじるな。スケッチの邪魔だ」
「うわああ! ごめんなさあああい!!」
 花子の眼鏡の向こうの瞳が洪水で決壊しそうなダムのようになっている。今にも零れ落ちそうだった。


 彼女らが懸命に首輪の観察をしている間に、ほかのグループが花子の叫び声に気づいて目を覚ましたようだった。まずは最も近くにいた結城鮎太(ゆうき あゆた・24番)と神田雅人(かんだ まさと・03番)が体を起こした。
「うにゃうにゃ、今日も藤堂さんすげー声だね」
 困ったように笑いながら前髪をピンで留めることによって大きく開けた額を自ら叩いた。
「ハッ!! あゆ君オハヨウゴザイマス!! そしてごめんなさい!!」
「んーん、気にしてない! あ、そういえば俺の荷物はー? つーか合宿場ってこんなボロいもんなわけ?」
 彼は自らの荷物を漁り始めた。合宿上で必ず完成させるのだと豪語していた、ガラクタで作った作業用ロボットの作成キットがボストンバッグから現れた。それを見て「あー、よかったー! 俺の愛しきロボットちゃん」とうれしそうに安堵した。
「勉強合宿明けに、ロボコンの予選だもんな」
 その隣で神田雅人が鮎太の肩をぽんと叩いて喜んだ。鮎太は物理研究同好会の仲間と共同でロボットを作り、高専などが参加するロボットコンテストに参加する予定だった。彼はロボット製作をそのコンテストに間に合わせるために、わざわざ部品をかばんに詰め込んだのだ。


「あら……窓に鉄板でも張ってあるのでしょうか……これではお外の景色が楽しめませんわ」
 脂肪がたっぷりついた二重顎に指をつけて困ったように窓を眺めた高砂巴(たかさご ともえ・13番)が呟いたのが聞こえた。徐々に眠りから覚めた生徒が巴と同じように窓へと吸い付く。
「マダムの言うとおりだよ」と誰にも聞こえないほどの小声で呟いたのは鈴木結理恵(すずき ゆりえ・12番)だ。長いまつげの先に雫を滴らせて目を瞑る。だが、その小声には誰も反応しなかった。
 どれどれ、と窓を覗き込みにきた栗原壱花(05番)は、窓が外側から鉄板で覆われていることを確認した。そして「マダム、これは……」と高砂巴に語りかける。「わかりません」とすまなそうに首を振った。こんな不可解な状況に陥ったとしても、マダムという名の由来どおり、非常に上品で優雅なオーラを身にまとっている。たとえ彼女の体躯が多少横に幅広くても、誰からも受け入れられた。

「あんたたち、おかしいよ!!」
 静寂がこの教室らしい部屋全体を包み終わったころ、乱暴にその空気を破る金切り声が上がった。全員の視線がその声の主へと集まる。
「何で? 何でそんな静かになれんの? 頭おかしいんじゃないの?! 私だったら絶対に考えられない! ここ、どこよ! 私たちって、合宿行くとこだったんじゃないの?! こんなとこ知らない。こんなおんぼろ教室で勉強するわけがない! 何これ、これまでも格差? 虹組だから? 頭悪いからこんな部屋に入れられたってワケ?」
 ウエーブのかかった黒髪を引きちぎらんばかりに引っ張って佐々木千尋(ささき ちひろ・10番)が叫んだ。
「ワケわかんない! 何なのよ、一体何が悪いって言うの?! 堅ッ苦しいバスに押し込めて、京都に連れて行ったりとか、教室も狭いし、先生の質は違うし、虹組、最低!! 馬鹿だからって何でそんなえこひいきするのよ!!」
「無能だからに決まってんだろ」
 千尋の悲痛な叫びに釘を刺したのは一ツ橋智也(21番)。彼はまた続けた。
「この学校に無能は要らない。赤いビロードを踏む靴に泥がついている奴はお引取り願おうか。俺たちは知識の貧困は馬鹿にできない。かの有名な人間国宝は皆、若いころから学習よりも技術に専念して来た。彼らの無学を誰がけなすことができる? そう、誰もいない。なら本当に馬鹿にするべき人間は誰だと思う?」
 かつ、かつとローファーのかかとを鳴らして、力なくしゃがみこんだ千尋の横へとつく。それからめいいっぱい足を振り上げたかと思うと、彼女の顎を下から全力で蹴り上げた。
「お前みたいな、親の財力をアテにして、高校生になっても将来をまじめに考えない無能なやつだよ」


「ぐえっ……」
 舌を噛んだのだろうか、千尋は苦しそうな声を漏らした。同時に複数の女子生徒からの短い悲鳴も飛ぶ。
 まるで彼女の顔をサッカーボールと同等であるかのように足蹴にした智也は、無表情のままその場を離れた。しばらくは千尋のうなり声と啜り泣きが聞こえ続けていたが、それでも誰一人、千尋に駆け寄る人はいなかった。

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