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こんなにも、愛しているのに
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01:long long ago

2人の僕の話。


◆side boy――傲岸な徒花

 母さんがおびえている。浸水した水圧の影響でドアが開かなくなったのだ、と。
 父さんが右往左往している。絶対割れないはずのガラスにひびが入っている、と。
 弟が泣き喚いている。このまま死んでしまうの?と。
 “僕”は思った。運命なんてこんなものだ、と。



 県議会議員の父さんが休日に家にいることさえ奇跡だというのに、ましてや家族を連れて瀬戸内海の遊覧船に乗って遊びに行こうと誘ったのは、まるでイエスの復活と同等の奇跡だと思った。だけど“僕”には分かっていた。近々行われる県議会員の総選挙で少しでもイメージアップを図るために僕ら家族を利用しているのだ、と。
 瀬戸内海はあまり広いとはいえないが、宝石箱のようにきらきらと光っている。その上を白いカモメが悠然と飛び交い、時折鳴いていた。すれ違う漁船に手を振ると、小さな漁船からちっぽけな存在が、自分の存在を必死に知らしめるように大きく手を振っていた。
 大きな遊覧船から見下す小さな漁船は今にも消えそうな風前の灯だ。海風が凪いでいる間はいいが、少しでも強い風が吹くと波に飲まれて粉砕する。
 それでなくても漁師という職業は今人材が少なくて四苦八苦していると聞く。極貧の生活を営みながらも、どうしてあのように笑顔を振りまけるのか、僕には謎だった。

 僕はこの遊覧船に乗ってどこまでも行くつもりだった。親が長男である僕に用意した、代々受け継がれてきた綺麗な道があるのだ。菊花学園初等部から中等部、高等部、そして全国でも知らぬものはいないであろう菊花大学の法学部に進み、公務員になり省庁勤めをする。そしてゆくゆくは国会議員に立候補し、当選する。齢70歳を過ぎても収入は2000万を維持して死ぬまで贅沢をしてすごす。これが僕に用意された「一生安泰」の出世コースだ。
 ……反吐が出そうだ。悔しさだけが僕の中に渦巻く。親指の爪を噛んで苛立ちをごくごく小さな対象に向かわせるようにした。


 父親の魂胆見え見えの偽装家族旅行は、神様のお咎めを受けた影響で最悪の旅行だった。乗船前には凪いでいた海も出航した過ぎあとに急激に荒々しくなり、客室の中で体育の時間を思わせる激しい動きを体験した。左右にも上下にも激しく揺れ動く中で、胃液が逆流したほどだ。
 廊下にも客室にも緊急アナウンスがやかましく流れている。僕の家族は一等客室に帰る時間の余裕がなく、たまたま近くにあった三等客室に入った。
 両親は板張りに白いテーブルしかない三等客室の設備の甘さに不安を覚え、弟は恐怖に屈した。かつて海の向こうでは豪華客船が氷山に衝突して沈没した事件があったが、それを連想させるにはぴったりの状況だった。
 
 「大丈夫、きっと波はすぐにおさまる」と適当な励ましの言葉を投げかける父親。珍しくアウトドア用の服を買い込んできたが、それも残念なことにすぐに返品しなければならなそうだ。
 大きな音がして、廊下側から波の音が聞こえてきた。アナウンスは何一つ連絡を入れていない。3等客室には目もくれないアナウンスに憤怒した母親が、急いでドアに飛びついた。だがすぐに顔面蒼白になる。
 「ドアが……開かない……」

 客室のドアは押してあけるタイプなのだが、残念なことにびくともしないのだ。微々たる動きも見せることなく、ただ鉄板で仕切られた向こうの水の音だけが大きくなる。父親がずいと出てきてドアに体当たりする。だが若いころにテニスをかじったっきり、それ以来は接待ゴルフしかスポーツらしいスポーツをしてこなかった男に何ができるであろうか。鉄板のドアはうんともすんとも言わずに沈黙を守った。
 そのうち隙間から水が浸水してきた。ゆっくりと、だが確実に狭い部屋の中は水で埋まってくる。

 皮肉にもそのとき、僕は初めて家族がひとつになったのを感じた。
 『このままだと死ぬ』
 誰もがそう思ったはずだ。


 僕は何も言わなかった。ただ、どうしようどうしようと言いながら歩き回る両親に軽蔑の視線をやり、下品に鼻水をたらす弟を目でなじった。
 考えている間に、水は腰の高さまで来た。もう脱出するところがない。諦観か抵抗か、そのどちらかの選択を迫られた僕たち家族は、抵抗を選んだ。
 海側の二重になった窓ガラスにひびが入っているのを父親が見つけたのだ。たいていこういうところのガラスは水圧にも耐えられるように、非常に厚くて頑丈なものなのだが、不幸中の幸いか、その欠損が僕たちの命を救ってくれる小さな可能性になったのだ。
 父親は部屋の斧のようなものを取り出した。大量に水は流れてきてすぐに脱出はできないが、この部屋が水で満杯になれば小さな窓からの水流の動きはなくなり、窓から出ることができるという考えである。さすがに菊花大学法学部を首席で卒業しただけあって、分野の違う数学や物理にも長けていた。
 父親が全力で斧を振り下ろした。まずは一枚目のガラスにひびが入り、もう3回も振り下ろせば完全に割れた。そしてもうひとつの海に面したガラスは、一度だけ斧を入れれば水圧でヘクトパスカル級の圧力がかかり、自動的に窓ガラスが割れるという寸法である。
 父親が、斧を振り上げた。僕は息を思いっきり吸い上げた。


 激流とともに水に飲み込まれ、僕の身体は小さな船室をぐるぐると回った。何度か天井や壁に頭を打ち付けたが、息は何とか保った。流水が落ち着いたころ、目を開いた。水中ゴーグル無しに水に入ったことがなかったので、歪んでぼやけた視界には順応し切れなかった。だがここは生きるか死ぬかのところだ。目が痛いのは我慢できる。僕はすぐに手をがむしゃらにかき回して窓らしき場所へと向かった。
 ここであるひとつのことに気づいた。窓の大きさが小さいのだ。視界がぶれているからではない。本当に小さかった。それはせいぜい、僕や弟が身を縮こませてやっと通れるほどなのだ。大人はどんなにがんばっても出ることはできないだろう。
 弟が窓に頭を突っ込んでもがいている。肩を引いて身を細めることを考え付かず、ただ脱出することだけを考えているのだ。なんという頭の悪い愚かな弟。弟は身体を窓枠に通せず、足でもがいていた。
 息が、続かない。
 僕のような小さな子供の肺活量などたかが知れている。もってあと20秒。僕はそれが尽きたら死ぬ。血中に酸素が取り込めず、その結果細胞に栄養となる酸素が行き渡らない。すると細胞は酸素を糧にして糖分を分解してエネルギーも作れなくなり――その前に窒息死だ。


 僕の手の動きは我ながらすばらしかった。窓に頭を突っ込んだままの弟の足に手を掛け、窓枠にしっかり足を固定したあと、思いっきり引っ張った。
 窓枠にまだ残って板ガラスの破片で、弟の頚動脈は断絶された。海の中のサメが銛を討たれて出血するのと同様の現象が起きる。蒼い海の色に真っ赤な血が流れ、混ざり合っては紫へと変色する。僕はすぐさま血の付着したガラス片を窓枠から剥ぎ取り、身を縮めて窓枠から出た。

 海に、海に出れたのだ!!
 僕はあの閉塞空間から出ることができたのだ!
 無我夢中で重力に逆らった。あと少しで息が切れる。脳が酸素を欲している。塩辛い味が口にしみこんでくる。水面が、水面が――!!!


 
 ――僕が覚えていることはただひとつ。
 生きるために家族を見殺しにし、たったひとりだけ生き残ったということ。




◆side girl――昼間の星


 中学3年生のときだった。東京の大学付属中学に所属していた“僕”は、ある日突然プログラムに選出された。担当教官についてはよく覚えていない。確か、女の人だったような気がする。説明の段階で多くの女子生徒が声を上げて泣き始めた。女子校だったためにその泣き声は次々に感染し、涙を流さない人間はせいぜい僕ぐらいだった。

 部屋から無理やり逃げようとしたクラスメートが射殺された。名前は覚えていない。
 担当教官に歯向かったクラスメートが刺殺された。名前は覚えていない。
 首輪の爆破実験台に選出されたクラスメートが首から大量の血を吹かして死んだ。名前は覚えていない。
 僕は比較的早い段階でのスタートだった。順番は覚えていない。
 支給武器は拳銃だった気がする。詳細は覚えていない。
 何時間もひとつの家に隠れていたようだ。場所は覚えていない。
 誰かに会ったような気がする。だが記憶にない。


 ほとんど何も覚えていないが、一人だけ鮮明な記憶がある。
 一般的なお嬢様である“私”のレッテルから逃れたくて、自分のことを“僕”と呼ぶようになった僕に友達なんかいなかった。それに僕は東京の高級住宅街に住んでいるわけではない。下町のマンションに住んでいる。父親の職業もそこそこ儲かった自営業の社長。大企業の社長とは同じ社長でも格が違う。ありとあらゆる劣等感が相乗効果でお互いを潰しあい、結局僕は中学生のときから厭世的で悲観主義だった。

 そんな僕に唯一声を掛けてくれた人がいたのだ。名前は言わない。
 誰とも分け隔てなく話すことができる彼女。明るく活発で、スポーツが全般にできる。その上勉強もできる。性格も申し分なく、文武両道。まさに神から二物を与えられた人なのだ。
 彼女にだけは会いたかった。僕は放送で呼ばれる死亡者の名前に横線を引きながら、いつまでも彼女の名前が呼ばれないことを祈った。


 そう、彼女を殺すのは僕なのだから。


 他の誰にも触れて欲しくない。彼女は僕のものだ。あの笑顔は僕のものだけになればいいのだ。他の誰かに取られるくらいなら、いっそ僕の手で。
 心の中にふつふつと燃え上がるのは独占欲の炎だった。もちろんそんな馬鹿なことが彼女に分かってもらえるとは思わない。この気持ちは僕でさえ怪訝に思う。普段の生活で、彼女が僕の本当の友達になってくれればとは思っていたが、それは所詮夢の夢。いつでも僕は彼女の中の1番になることはできない。いつでも僕は彼女の中の優先度は最下位。外見も中身も穢れた僕が彼女の瞳の中に写ることさえおこがましいのに、僕は彼女を自分のものにしたいと切望し続けていた。病んでいた。それは恋わずらいだった。だが、同性同士という禁断の扉を開けた覚えはなかった。
 彼女の隣に立って笑いあうことを常々夢想した。彼女の夢を何度も見た。授業中もずっと彼女の広くてがっしりした背中を見つめていた。それが幸せだった。いつか僕のものになって、僕の悲しみを慰めてくれて、そばに寄り添って生きてくれると妄想することが、僕のすべてだった。
 体育の授業で張り切って体操する彼女も、人の倍はあるお弁当をすぐに平らげ、他に持ってきたおにぎりをおいしそうに頬張る彼女も、部活で先生に怒られて涙を溜めている彼女も、全てが美しかった。すべてが明るかった。すべてが、僕と違った。
 
 きらきらと光るダイヤモンドなのだ。僕はそれにカッティングを施し、この世で一番の値段をつける。誰にも買うことができない法外な値段でだ。それを僕は自分のものにする。


 ああ、早く彼女に会いたい。そう考えていたことは確かである。僕はずっと歩き回り、彼女を探した。
シナリオはこうだ。僕がおびえながら彼女と出会う。彼女は優しいから僕の小さな体躯をぎゅっと抱きしめてくれる。そして頭をなでてくれるのだ。弓なりに細めた目で微笑んでくれる。そして彼女が最も輝いたときに、殺す。
 僕はひたすら歩いた。とにかく手当たりしだい探し回った。

 そしてついに僕は、彼女に出会ったのだ!!
 彼女の意識は朦朧としていた。あの炯々と輝いていたころの彼女の姿はない。だが、僕の姿を見てにこりと微笑んだ。僕は彼女に近寄ろうと走り出したとき、別の影を見つけた。
 別の女が、彼女の後ろにいたのだ。別の女は彼女の親友ではない。彼女にとっての僕のように、特に仲のいいような存在ではない人だ。彼女の優先度ランキングできっと僕と最下位を争うような女。女は馴れ馴れしくやつれた彼女を支えていた。
 彼女における僕の優先度は、あの女をぶっちぎって断トツ最下位になった。

 顔から血の気がサーっと引いていく。指先に血がめぐらず、カタカタと震えた。
 愛しの彼女に声を掛けられたが、後ろを付いていたあの女がその声を否定した。あの人はダメ、銃を持っている、と。僕はそう、右手に銃を持っていたのだ。いつ彼女と会ってもいいように。この銃は彼女のためにあるものであって、お前みたいな金魚の糞に向けるものじゃない。勘違いも甚だしい!あの女は何を感じているのだろうか?被害妄想?冗談じゃない。まるで自分が僕の彼女を庇っているようじゃないか!英雄気取りか?何たる愚かな女なのだろう!彼女は僕のものだ、お前が触っていいようなものじゃないんだ。近寄るな、近寄るなブサイク眼鏡!あんたみたいな不潔因子が近寄ることで彼女の原子構造が変わってしまう!純粋な炭素で構成された、混じり気のないダイヤモンドに不純物が混じってしまう!近寄るな、彼女に近寄るな不純物!!
 屈辱と怒りが入り混じってエネルギーになった。そのエネルギーは、拳銃を持って走り寄るには十分すぎた。僕は僕から逃げそこなったブサイク眼鏡女の首を掴みその口に拳銃を突きつけた。
 「僕のものに触るな」
 エネルギーが2乗、3乗と細菌が増殖するように爆発的に増えていく。この力は壮絶だ。引き金を引くことなどいとも容易い。あらかじめ安全装置をはずしておいてよかった。
 ちょっとした反動が手に響いた。頭ははじけ、もろもろの破片が飛び散った。頭蓋骨の骨片がどろどろとした液体に飲まれて草葉を湿らせる。

 返り血が僕の顔を彩った。そのままで隣に立ちすくむ愛しの彼女を見た。彼女はこの世のものではないモノを間近で見てショックを受けたようだった。文武両道、完璧な人間だと思っていたが、恐怖に関してはまだまだ未熟だったようだ。だけどそういう欠点があっても人間らしくていい。おびえた顔がさらに欲情をそそる。

 彼女は走り出すこともできず、震えた足でやっと立っていられる状況だった。彼女の顔は真っ青だった。しかしそれが美しかった。ああ、美しい!なんて美しいんだ!中世ヨーロッパで書かれた壁画の美しさよりもさらに映えて見事である!すばらしい芸術品だ。その芸術品を、この手で壊せるだなんて!!


 ――僕が覚えているのは二つだけ。
 彼女を殺したことと、
 ……そのプログラムに優勝したこと。


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 お手数をおかけし誠に申し訳ございません。

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