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こんなにも、愛しているのに
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22:2008/02/15 PM13:40
 世界が、渦を巻いている。

それは排水口に吸い込まれる水のように、それはとぐろを巻く蛇のように。

 

穂高いづみ(23番)はおぼつかない足取りで川辺の砂利を踏んでいた。民家の密集する地区から道路を挟んで4メートルほど緩やかな階段を下がったところに、砂利で構成された川原があり、そしてなだらかな浅い川がある。川の流れは轟々としていて(おそらく先日雨が降ったからだと思われる)、今の時点では容易に近づけるようなものではなかった。堤防となっている階段の横の部分には葦が雑多に生えていて、風に揺られてはさわさわと音をたてる。空はどんよりと重みを増してきた。

2月の寒さが身にしみる。手足が凍りついたようになり、中枢からの命令を無視して沈黙を守っている。それに加え、いづみはひどい風邪を引いてしまっていた。頭が朦朧とし、関節痛が顕著に症状として現れてきている。頭が、それこそ腐敗した豆腐のようにとろけだしているように感じる。右に左に、荒波の中進む船のように覚束ないまま進路を変えながら、無目的のままいづみは歩いていた。

 

 

考えることも苦しかった。本当ならばプログラムに選ばれた死にゆく我が身や、京都の実家に残された家族、短い間だったが仲の良かった友人のことを案ずるのが普通なのかもしれない。だが彼女の今の体調では、自分のことすら考えることも不可能だった。それほどまでに、体調が悪化していたのだ。

マスクで覆った口元が、己の息でやたらと湿っぽくなり、不快感のあまり途中でマスクを捨てた。息ができるようになったが、呼吸をするたび凍りついて鋭いトゲのようになった空気が喉と肺をひたすらにさいなむ。いづみは何度も咳を繰り返した。

薬をボストンバッグに入れていた。しかしとてもではないが探す気にはなれない。もう関節も指も動かないのだ。

 

いっそのこと、ここで倒れてしまおう。

いづみは着の身着のまま大きめの石が並ぶ川原に倒れ込んだ。角々しい石が彼女の小麦色の肌に食い込む。痛みはなかった。ただ、河の流れる音だけが聞こえる。石に枕し水で口濯ぐときの気分は、きっとこのようなものなのだろう。

 

 

何か、なにか楽しいことを考えよう。

痛みに耐えかねて、いづみは必死に現実に帰ろうとあがいた。頭の中の豆腐が必死に揺れ動き、脳の海馬からこの辛さを忘れられるくらいの楽しい思い出を取り出した。苦しみを紛らわせるために、はじめに出てきたのは部活の思い出だった。

それは、部活で始めて活躍できたとき――いづみは出身の京都府からソフトボールのスポーツ推薦でこの菊花学園高等部に入学してきた。もとよりこの学校は全国でも名の通った進学校であるために、部活に情熱を燃やす生徒は数少ない。したがってソフトボール部も、いづみのようにスポーツ推薦で引き抜かれた生徒が90%だった。もしかしたら95%くらいはそうかも知れない。というわけであるから全国で名を馳せた名選手たちが揃っていて、それはいづみを常に緊張状態にさせた。

とりわけ同じ学年の栗原壱花(女子5番)。彼女の出身中学は全国大会で優勝し、壱花はその4番でピッチャーだ。同じ全国大会に出場したものの、ベスト4となったいづみの学校とは違う。

また、桜庭妃奈(女子9番)も負けてはいない。こちらは東京のとある区立中学校で名を上げたピッチャーだった。

かつて全国中学体育大会決勝で壱花と妃奈の学校がぶつかり合ったのを覚えている。お互いに100球を超える長丁場を踏んだが、最終的に妃奈がダウンし、延長9回裏、それをバックスタンドまですくい上げたのが壱花のサヨナラソロホームランだった。

そんな女傑と同じチームで活躍出来るか、いづみは入学当初から不安だった。元来おしゃべりな方ではなく、気分が高揚すると京都弁が出て笑われるのであまり話したくもなかったのも事実だ。

同じチームになってからというものの、圧倒的な実力の格差に怯え、いつもミスばかりしていた。推薦入学の条件として、即戦力になることがあげられていたのでミスは許されない。推薦のおかげで寮費も授業料もほぼ全額免除になっているのだから、ケガもできなければ失敗も許されない。プレッシャーはいつもその細い双肩に重くのしかかっていた。

 

いづみは以前慢性的なスランプに悩まされていた。プレッシャーもさることながら、自分の実力がいかに他の人達に追いついていないかを悟らされたからだ。虹組のソフトボール部三人組ともてはやされて久しいが、いづみは常々自分はオマケだと思っていた。実力で先輩を追い抜き不動のエースに成り上がった壱花、早々にポジションをサードに変えその強肩で何度もピンチを救ってきた優秀美麗・妃奈。ふたりは確かに個性的だった。個性的であるがゆえにプライドも高く時には衝突した時もあるが、あれで一番の親友同士である。いづみはいつもそのおまけだった。

うまく行かない、やろうと思えばやろうとするほど空回りする。だがそんなスランプはある日突発的に解消された。菊花学園が因縁としているインターハイ常連校との練習試合で、いづみは1番ファーストで出場した。たまたま相手ピッチャーの球種が好きなタイプだったからかもしれない。いづみは初球打ちやホームランまで打ち、結局いづみ一人の活躍により相手ピッチャーを3回でマウンドから引きずり下ろした。守備も好調だった。ピッチャーからサードに転向したに妃奈からの長距離投球も難なく取れるし、リードしていた一塁ランナーを牽制する壱花の荒っぽい牽制球もそつなく処理した。

めったに人の事を褒めない監督にも「よくやった。あれは穂高じゃなかったら取れなかった」と誉められ、先輩たちにも「いづみすごい!!よくあの球打てたね!」と賞賛された。

菊花学園のソフトボール部に入ってからというもの、毎日倒れるような練習とトレーニングばかり積んできたからか、褒められるという経験を忘れていた。中学時代までエースだった自分が部内で一番下手になっていたことを恐れて自分の実力を発揮できていなかったことに改めて気付かされる。

 

あの夏日が照りつけるマウンドで、いつだってピッチャーとランナーを見て過ごした日々の繰り返し、それが、もう戻らない日常になったのかと思うと――

 

 

いや、いけない。弱気になっちゃだめだ、いづみ。

いづみはコートのポケットに入っていたのど飴を取り出した。このプログラム会場にくる前、勉強合宿に参加する前にソフト部ファンの後輩にもらったバレンタインプレゼントだった。友チョコが流行して久しいが、まさか後輩から本命プレゼントをもらえる日が来るとは夢にも思っていなかった。いづみは自分がそこまで可愛いだとかかっこいいだとか賞賛されるほどの人間だと思っていなかったからだ。事実、いづみがソフトボール部で歴史上最もきれいだと言われているし、壱花はおしゃれが好きなわけではないがそのコミュニケーション能力を以てして多くの人に愛されている。

 

これをなめて気分を紛らわそう。いづみは生まれたての子馬のように力なく立ち上がると前を向いた。

すると、今までなぜ気づかなかったのか不思議なほどだが、そこに誰かがいた。黒く細い影のようなものがまっすぐいづみの顔に向かって伸びている。ズボンを履いた人が、彼女の前に立っているのだと気づくまで時間を要した。

 

「何してるんだよ、こんなところで。野垂れ死んだのかと思った」

ふんっ、と人を見下して鼻で笑うのはいつもと変りない――一ツ橋智也(21番)がそこに立っていた。学ランに高そうな革のコートを着て、私物のボストンバッグと支給されたデイバッグを肩から下げていた。一ツ橋智也といえば自分が認めた人以外は人権を与えないほど、自分の実力と権威を鼻にかけた性格の人で有名である。しかし彼の認めている栗原壱花と仲が良いということで、あの智也もいづみに対しては横柄な態度を引っ込めていた。(あまりいづみに対して悪いことを言うと、壱花が反論して面倒な事になるのが嫌だったからという理由も別にあるが)

 

いづみは恐れをなして立ち上がろうとしたが、上手く出来ない。関節という関節に炎症が起きて、まるで骨の間に赤く灼かれた滑車を入れているようだった。動かす度にギシギシと骨がきしむ音がする。耐え切れずにいづみは立ち上がることを諦めた。

刹那、『殺されるかもしれない』という恐怖心が脳裏をかすめる。急に首に巻き付いていた監視用の首輪が重みをまして、彼女の頭をもたげさせた。

 

そうだ、これはプログラム。

「そういえば……風邪引いてるとかなんとか言ってたな」

考えこむように智也の語尾は弱まった。いづみは未だに顔を上げられない。倦怠感が全身を覆い包むように訪れ、もう意識さえ手放してしまいたいほどだった。

「おい、穂高」

これを飲め、と智也が差し出してきたのはコップに入った水だった。今、いづみの喉は燃え上がるように灼熱の地獄となっている。彼女はすぐさま手を伸ばすと、それを一気に飲み干した。口に含んだ時点ですでに半分ほどは蒸発してしまったのではないかという錯覚に陥る。口の細胞が水分を欲しがるあまり、喉に送られる水分量も少なければ、胃に送られる水分量も激減していた。それはまるで減量後のボクシング選手のような渇望感であった。

喉の渇きが言えると脳が少し思考を開始した。一ツ橋智也は高校卒業後医学部進学を目指していたことを頭の片隅に思い出したのだ。

「まだ飲むか?」と差し出された2杯目の水も、いづみは奪うようにした後飲み干した。この2月中旬の冷気に冷やされたのだろう、凍りつくような冷たさが喉を通り、胃に入っていくのがわかる。

 

 

ドクンッ、と急速に心臓が大きく脈打った。

続けざまに心音が大きくなっていく。和太鼓の演奏がそこであるかのように、その音は振動とともに深く、横隔膜を突き抜けて胃まで振動させる。今まで飲んだもの、食べたものをすべて戻してしまいそうな衝動にかられるが、必死になって口を覆い、その衝動をこらえた。

不思議なことに、その吐き気が消えたのちに全身から一気にほてりが抜けた。さっきまで感じていた痛みが嘘みたいにスゥっと消失していった。全身を包んでいた、あの片栗粉液のような倦怠感は失せ、頭を締め付けていた茨の冠のような頭痛から開放された。

「あ……あ、あ……」

意思とは全く別のところで体が動く。まるで天から糸が釣り下げられていて、それによって動かされているようだった。いづみは動作もなく立ち上がり(先刻まであんなに苦労していたのにも関わらず!)、大きく手を広げた。

 

「治った!!」

滅多に声を荒らげないはずのいづみが、目をひん剥いて荒々しい声を上げた。慟哭にも似たような断続的な絶叫を上げると、彼女はついに軽やかにステップを取り始めた。

 

 

ほんの2分程度の間に急変した態度を見て、さすがの一ツ橋智也も開いた口がふさがらなかったようだ。コートのポケットにつっこんだ彼の手にはULIIKが握られている。それは結城鮎太(24番)から奪った政府からの支給品で、粉末状の黄色い何かが瓶の中に大量に入っている。その粉末の正体がなにかわからず、智也はとりあえず私物のペットボトルの水500ミリリットルにビンの4分の1ほど入れていづみに飲ませたのだった。

「おい、ほだ――」

「邪魔すんでない」

智也が高揚したいづみの肩をつかむと、彼女は暗い瞳で鋭く睨み返した。すぐさま手を振り払われ、彼女は自分のバッグを持つと川の下流の方へと走っていった。

 

 

「……なんだ、あいつ……」

智也の頭には振り返ったいづみの顔が焼き付いて離れなかった。細いはずの三白眼はまるでバセドウ病患者のように血走るほど目が飛び出ていた。智也は流石に己のしたことを、そしてULIIKの威力と症状を一瞬で理解した。

智也は小躍りで走っているいづみの後ろ姿をじっと見つめながら、自分の首輪に手をおいた。そして数秒考えた後に、またいつものようにアイロニーたっぷりの微笑を浮かべると、「さっきから誰かをストーキングしてばっかりだ」と自嘲気味につぶやき、その陸上部で鍛え上げた俊足を駆使して穂高いづみのあとを追った。

 

 

 

【残り21人】

 

 

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