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こんなにも、愛しているのに
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25:2008/02/15 PM13:20
黒木明史(06番)という人間は、誰から見ても完全な存在であった。太くひかれた愁眉が際立つ精悍な顔をしており、隠れたファンの存在も実しやかに囁かれている。成績こそ中の上を行ったり来たりしているが、それでもかつてはあの一ツ橋智也と同じクラス――つまり、この学園で最も優秀なクラスである松組に所属していたほどの秀才であったし、高校1年の頃まではテニス部に所属しており、その名を馳せていたことも有名である。つまり、文武両道、おまけに決して自分の能力をひけらかず、実直な性格で人の良いところを見つけることができる、これ程までにパーフェクトという名をほしいままにしている人もそう多くないだろう。 菊花学園では担任を置かないシステムがあり、代わりに生徒の代表がクラスを仕切る。その仕切り役に明史が選ばれたのもうなずける。ごくごく自然なことだ。彼が物事を提案すれば、だいたいはすんなり通る。  それはこの危機的状況の中でも同じであった。  明史が提案した「プログラムからの脱出」。記憶の片隅にあるかないかの程度の昔に一度だけ世間を騒がせるニュースがあった。それはプログラムからの脱出。まさに今回と同じであった。  その提案を受けたのは栗原壱花(05番)だった。彼女もまた、明史と同じくらいクラスの信頼を得ていた。それは彼女の豪快かつ素直な性格に由来するところもあるだろう。純粋無垢であるがゆえに、人の悩みに共感し、一緒に解決しようと試みる。彼女は人の欠点を補うタイプの優しさを備えていた。  クラスの絶大な信頼を得るその2人が「脱出」という言葉を使うと、不思議と成功する気持ちが芽生えてくる。本当に不思議だった。プログラムのエリアは柵で囲われ、その向こうにはどうやら軍人が駐在しているらしいが、それをかいくぐっても、どこかへ逃げられるような気がした。否、生き続けられる気がした。  今、見渡す限りここには5人の生徒がいる。先頭を歩く黒木明史、栗原壱花に加え、桜庭妃奈(09番)、里見香春(11番)、高瀬暁(14番)だ。  このプログラムのルールでは、分校から出発するときに2分のインターバルを置いている。そのインターバルの間クラス全員を待つことは難しかったため、ちょうど明史と壱花の名前の順が近い人で、分校からあっという間に逃げ出してしまった人たちを除くメンバーがここにいる。高砂巴(13番)は、声をかけてみたものの、残念ながらこの計画には乗らなかった。死にたいのだろうか。しかしそういった気持もわからなくはない。  分校を出発するのは高瀬暁が最後である。そのため明史を筆頭に5人で移動を始めた。 「こっちだ。まずは何よりも腰を落ち着けられる場所が必要だから、この地図のここ、商工会議所に行こう」  明史に先導されて残る4人はその後ろをついていった。その列の最後尾についた妃奈は、複雑な表情を浮かべていた。妃奈は自分と壱花と並ぶソフトボール部トップ3のうちのひとり、穂高いづみ(23番)を心配していたのだ。  いづみは名前の順で言えば栗原壱花と桜庭妃奈と離れており、彼女らよりももっと早く出発している。分校にいなかったということはどこかに行ってしまったことが考えられる。  何より彼女は今、ひどい風邪を引いている。出発前のバスの中でも頭が痛いと訴えており、この2月の寒空のもとでは下手すれば高熱を出してしまうかもしれない。こんなふうに体調をくずすことは今まで一度もなかったこともあり、いづみ自身も戸惑いを覚えているだろう。インフルエンザ状の関節痛も見られていたことが気にかかる。本来なら合宿を休めばよかったが、検査をしたところインフルエンザ菌は検出されなかったため、結局薬を大量に服用してだましだまし合宿に来たのだ。 「壱花」  妃奈のいづみに対する心配が限界を超え、先頭を行く明史の後ろについていた壱花に声をかけた。  彼女は歩みを止めて「ん?」と聞き返してきたので、妃奈は続けた。 「やっぱりあたし、いづみのことが心配。どうせ脱出するんなら、いづみも一緒がいい」  既に目の前で人が死んでいる。あのようになるくらいなら、一縷の望みでもかけてみる価値はある。脱出するなら、せめてみんなで――妃奈はそう考えていた。 「ねぇ黒木、ダメかな」  いつもしっかりもので気の強い姉御肌で通っている妃奈が、眉をひそめて哀願した。 「……そうだね、うん、俺は賛成。仲がいい人と一緒にいたい気持ちはよくわかるよ」  物腰柔らかな言葉が帰ってきた。妃奈はほっと息をつく。いつもそうだ、明史の言葉は丁寧だが、親しみを感じる。これが、いわゆる中流の一般家庭に生まれ育った妃奈には絶対に縁のない良家のお坊ちゃんの話し方なのかもしれないと、何度思ったことか。 「でももしよかったら一度俺の話を聞いてからにしないかい」 「や、でもっ・・・いついづみが・・・」 「一刻も早く見つけたいんだよね。わかるよ、ひぃさん」  柔らかく細めた目に、心を見透かされているようであった。明史は笑みを絶やさず続ける。 「俺はこの脱出計画を完璧に仕上げるためには、ある程度のシステムを構築しなければならないと考えている。そのためにはシステムを作り上げる人的資源――つまり、俺を含むみんなの協力と協働が必要なんだ。みんなの協力が得られるためには、俺の考えていることをすべて話す。それには時間と場所がいる」 「……ここじゃ、ダメなの」  今すぐにでもいづみを探しに行きたい気持ちがはやる。そんな気持ちが先走って、妃奈をいらいらさせる。 「ここでもいいけれど、一度落ち着いてから話したほうがいいと思うんだ。なんといっても今、俺達が歩いているのは道路のどまんなかだ。誰が来るかわからないところで説明しても、外を警戒していいのか耳から来る言葉を理解していいのか思考回路が混乱し、どちらもなおざりになることは間違いない。だから一度腰を落ち着かせてから本題に入ろうと思ったんだ。どうだろうか。もちろん、ねがわくば誰も襲ってくることがないことを祈らんけれど」 「わかった。じゃぁ、早く行こう。それで、その後私はいづみを探しに行く。それでもいい?」  妃奈は明史のことを鋭く睨んだ。決して明史のことは嫌いではない。むしろ妃奈の目には好意的に写っている。しかしどうしても、自分の道を妨害しようとしているようにしか感じなかった。妃奈はまだ、未熟だった。 「ああ、いいと思う」  一息つき、妃奈は肩のこわばりをといた。 「ひぃ、ウチも・・・」と壱花がいづみの捜索に乗り気だったが、妃奈は「壱花はだめ」ときっぱり断った。 「あたしに行かせて」  一瞬きょとんとした表情を見せた壱花だが、コクリと頷きながら「分かった」と言った。 「それじゃぁ早めに目的地まで辿り着こう。あっきー、里見さん、いいかな」 「異論ないわ」  香春がたれ目を細めて柔らかく笑った。その後ろにいる暁は突然声をかけられて驚いたためか、「えっ・・・あっ・・・う、うん」という素っ頓狂な返事しか返せなかった。――ああ、でもこれはいつものことかもしれない。妃奈は申し訳なさそうに曲げられている暁の特徴的な猫背を横目で見やりながらそう思った。  妃奈は思った。ねがわくば、誰も襲ってくることがないことを――そんな明史の言葉が脳裏を離れない。  こんな気持ちを、プログラムに選ばれた生徒たちは誰もが抱いていたのかもしれない。しかし同じように思わずにはいられない。『人を殺すなんてそんなことできるわけ無いじゃない』  現実は、どうだろうか。時々ローカルニュースで流れるプログラム終了のテロップ。年50クラスの“尊い”犠牲。一度は切り抜けたはずの運命のルーレット。それが、今になって。  妃奈は脱力しかけた。ともすれば今すぐに腰を抜かしてしまいそうであった。中学でソフトボール部の全国大会に出場し、決勝まで上り詰めたことから現監督に見初められてこの菊花学園にスポーツ推薦で入学した。それなりに中学時代も成績が良かったため、成績不良が原因で退学に追い込まれることはなかったが、部活と勉強の両立はほとんど不可能だった。しかし世の中には優秀な人という人種は何も自分一人だけではなかった。妃奈たち虹組より上位のクラスにも、部活と勉強を両立できている人達がいる。ソフトボールの実力は妃奈のほうが上だったかもしれないが、総合的に見て劣っていた。  自分への劣等感が大きくなるにもかかわらず、周囲からの期待は大きくなっていった。両親はもちろん、親戚、友人、あるいは中学のソフトボール部のチームメイトだった友人まで鼻高々で自慢気に、妃奈のことをまるで自分のことかのように話す。将来はプロスポーツ球団へのオファーが来るだろうし、もしなくてもそちらの道を歩むだろうと期待されていた。  期待は、重かった。高校から大学に向けて進路を決めなければならない時も、つぶしの効く理系を選んだ。文転した時も融通が利くからだ。将来の夢、スポーツ選手か理学療法士は、周りの期待によって造られたものだった。決して自分で創りだしたものではない。どちらも専門職が故に、大学進学が人生のすべてを決めると言っても過言ではない。後戻りできない世界が、妃奈にとっての「現実」だった。  そして今は、まったく別方向の「現実」と向き合っている。この首輪が、今まで見てきたものが全て虚構であったことを証明している。 人は、死ぬ。  とても簡単なことだけど、生きている上で一番遠くにあったものが、突如として目の前へ現れた時の衝撃は、何者にも言い換えられない。  17年間向き合ってきた現実が崩れたことによって、妃奈は足場をなくした。だから腰を抜かしそうになったのだ。  ああ、そんな虚構の現実に、私は帰りたいのだろうか。  帰ったところで何が出来るだろうか。かつて世間を賑わせたニュースでは、脱出した生徒の行方は知らされていなかった。平穏に過ごしているのだろうか?それとも一生警察に嗅ぎまわされて怯えながら過ごすのだろうか?脱出したところでそのメリットは何だろうか?――  妃奈は小さく首を振った。  やめよう。メリット・デメリットを追求してしまうのは良くない癖だ。デメリットが多ければその案を捨ててしまう癖は、妃奈の計算高い打法に現れていたが、悪く言えばそれは冒険ができない性格でもあった。部長でエースピッチャー4番打者の壱花にあって、副部長の妃奈にない決定的なものである。  冒険をしなければならない。あたって砕ける。それが例え、死でも、不幸な結末だとしても、野垂れ死にするよりはいいのかもしれない。明史を、いや、壱花が信じた明史の計画を信じて、まずはついていこう。妃奈は小走りになってきた一行の足取りに追いつくように足を早めた。 「あの角を曲がるから」  地図を片手に明史は先導してくれたが、ようやく商工会議所につきそうな予感がした。そこは県道沿いにある場所で、その周辺には住宅が並んでいた。一軒家が多く、マンションはあまり見受けられない。新興住宅地にようにも見えない。傾きかけてメッキの剥がれた看板があちこちにあるのを見やり、昔からある場所なのだろうと考えた。  その時はまだ、このまま無事に何事も無く商工会議所へつくものだと信じていた。根拠もなく。  その角を曲がろうとした途端、明史が突然ふらついたのだ。 「きゃああ!!!!」  甲高い金切り声が県道いっぱいに広がった。 「いやあああ!!! 誰?! 誰かいる!! 茜! 茜!」  その声には聞き覚えがあった。分校にいた時、これがプログラムだと知ってから急にヒステリーを起こした佐々木千尋(10番)である。彼女が絶叫してその名を呼んだのは、いつもいっしょにいる佐久間茜(08番)だろう。 ――ってそんなコトぼんやり考えてる暇なんかない!  妃奈はとっさに支給されたデイバッグを胸に抱え、万が一何かで攻撃された場合に備えた。今まで女の殴り合いの喧嘩なら壱花としたが(原因は合宿の時のおやつを壱花が妃奈の分まで食べてしまったことにある)、それ以外に喧嘩らしい喧嘩などしたことがない!テレビの見よう見まねで、とりあえず体の面積を小さくしてみた。 「千尋落ち着け!」  金切り声の後ろから飛び出してきたのは、案の定佐久間茜だった。 「あ……黒木たち……か……」  茜が明らかに警戒心を込めた表情を浮かべ、数秒間2つのグループはにらみ合った。 緊張の糸が、ぴんと貼った音がした。 【残り21人】
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 各ストーリー末にあるprevやnextは使わないようにして、右カラムのカテゴリから逐一ストーリーを選んでいただくことになってしまいます。
 お手数をおかけし誠に申し訳ございません。

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