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こんなにも、愛しているのに
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02:2008/02/14 AM07:10


 早朝は、例えここが海と山の狭間にある静岡といえ、もうすぐ零下に届くか届かないかまで下がる。この国で最も過ごしやすい場所といわれる静岡には、高級住宅街が並び、それでいて謙虚なところだ。
 吐く息は白く、鼻先はひりひりと痛む。手袋をしてでもなお氷を触った後のように冷たい指先をこすり合わせては、少しでも温まろうと努力した。

 何も、こんな寒い日に勉強合宿なんかしなくてもと考えると、不思議と白い息はため息に変わる。黒木明史(くろき あけし・06番)はマフラーを掴んで口元まで引っ張った。そうしてもう一度、勉強道具と生活用品を入れたエナメルバッグを背負いなおす。

 今日から彼らは勉強合宿であった。高校2年生も佳境に入り、あと1ヶ月弱で3年生の先輩も卒業し、そして誰もが畏れる恒例クラス替えテストもある。それにこの合宿は、受験勉強という大きな壁に立ち向かう準備のための恒例行事だ。準備のためとは言いつつも、ほとんどの生徒が6月ごろに部活を引退してから受験勉強に本腰を入れるのだが。
 明史の通う高校は全国でも知らぬものはいないだろうという菊花大学付属高校のひとつ、私立菊花学園である。菊花大学に付属高校は全国に5校あるが、菊花学園はそのうちで最も偏差値が高く、もっとも規則の厳しい、いわばエリートのための赤いビロードでもあった。幼稚舎から始まり、初等部、中等部もかねそろえた校舎は同じ敷地内にあり、マンモス校と呼ばれる部類に入る。
 そんなエリートのためのビロードであるが故に、勉強や規則にはとてもうるさい。それに成績順に松・竹・梅・桜・桃・虹と6つに分けられるクラス替えは年に2回もあるうえに、黒髪・ピアス無し・理由のない遅刻は厳禁などの絶対校則を卒業までの累積で3回破れば問答無用で退学処分だ。
 厳しい規則にいつでも背後に潜む退学処分のレッテル。そして学校に残ったたいていの生徒は、小さい頃から英才教育を受けてきたご子息・ご息女なので、根っからの真面目かつ愚直である。残った人間のほとんどは、青春のせの字も知らずにただひたすら赤い道を綺麗な革靴で歩かされていた。

 個性は沈黙し続けていた。規則どおりに生活することがすべて。ごきげんよう、さようなら、そうして生活することがステータス。
 ただし、競争だけは生きていた。学力で1年に2回もクラス分けをするという異例の学校方針がある故に、生徒はしのぎを削って勉学に励む。よい成績を勝ち取れば、よい大学への推薦がもらえる。私立大学では3本の指に入る菊花大学へのエスカレーターも可能かもしれない。良い大学へ進めば、地位も名誉も金も手に入る。いい暮らしがしたかったら、勉強しろ。そう言い聞かされて育った、勉強の塊みたいな生徒がこの学校で切磋琢磨、否、他人を蹴落としてまで自分が“生き残ろう”としていた。


 明史は黒い詰襟をホックまで閉めて、襟元の校章のゆがみを正す。きちんと膝を上げて、ローファーのかかとはすり減らさないように。常に淑やかに柔和に。それが普通で、それがすべて。

 冷たい風が彼の髪をなでた。線の細い、さらさらとした髪の毛が揺れる。やっぱり寮が近くてもコートは着てきて正解だと彼は思った。灰色のコートを学生服の上から着てきたのは、寮母からの忠告だった。寮は冷暖房完備、最適温度・湿度に常に保たれているため、明史には外がどれだけ寒いのか分からなかった。けれど、寮から一歩出て気づいた。寮母の忠告は正しかったのだ、と。


 学校の門が見え、どうやらエントランスに6クラス分のバスが並列して止まっているらしいことも確認できた。そんな時、
「ごきげんよう、明史君」
 と背後から声をかけられた。あまりに唐突のことであったので、彼は急いで振り向いた。自分より頭1つ半ほど違う里見香春(さとみ かはる・11番)は明史と目が合うと微笑んだ。
「……やあ、おはよう……」
「明史君、早いんだね!」
 垂れた大きな瞳で真っ直ぐに凝視され、明史は「そうかな」と答えた。
「誰かを待ってるの?」
「うん、壱花たちを待ってるの!」
 明史は質問を投げかけた割には「そうなんだ」とそっけなく答えた。
 話に出てきた壱花というのは、このクラスの豪傑・栗原壱花(くりはら いちか・05番)のことだ。香春がマネージャーを務めているソフトボール部の部長にしてピッチャー・4番スラッガー。しかも全国レベルの強豪とくれば、この学校のすべての人がその名を一度は耳にしたことがあるほどの、名声を欲しいがままにした人気者だ。
「そっか。壱花、今日も寝坊しなきゃいいんだけど……」
 朝練があるにしてもいつも定刻直前に教室に滑り込むようなだらしないところが玉に瑕だ。今日も時計を見て驚き跳ね起きている姿が容易に浮かぶのはもう彼女と同じクラスを3年も続けているからだろうか。
「そうね」
 急に返事が暗くなったのでどきりとした。明史は急いでその場を逃げるようにして
「あ、じゃあ俺、先に行ってる」
 と告げてバスのほうへと向かった。向かい風が冷える。早く、バスに行こう。


 校門のすぐそばにバスが6台止まっていた。だがどう見ても松組や竹組のバスはゆったりスペースのあるリラックスシートのある高級バスだ。それに比べ、虹組のバスは貧相なものであった。マイクロバスをそのまま借りてきたようだ。
 この学校が如何に勉強が出来る人を優遇しているかが、嫌でも目に焼きつく光景だ。確かに、菊花学園は弱肉強食だった。格差の例を挙げるなら、高校2年生のときの夏前に行った修学旅行は、松・竹・梅組は友好関係にあるアジア諸国、桜・桃組は北海道と沖縄、虹組は京都だった。
 これが暗黙の内に植えつけられる知識格差。もちろんクラスが上になればより質の高い先生に教わることが出来る。もはや高校ではなく、予備校と考えたほうがしっくり来ると常々思っていた。何せクラスに担任もいないほどであるし、専攻も全員別々だ。文系と理系が平気で入り混じっている。
 あれ、何か女の子が多い気がする……。バスの後ろのほうなどに、何か小さな袋のようなものを手にしてそわそわしている女子の大群を見つけて不思議に思った。


「おはようございます、今日はよろしくお願いします」
 バスの運転手に会釈をして乗り込む。ほぼ中央に位置する自分の座席にエナメルバッグを置き、コートを脱ぐと、おもむろに身を投げ出した。座席が固い。実家の外車はもっとシートがふわふわしていて、タブを押すと背もたれが自動で傾いた。これは手動じゃないと動かない。格差。

 しばらくぼんやりしていると、急に黄色い声が上がり、その声はしばらく続いた。
 何だろう、と明史は窓から外をのぞく。少し低いところで女の子が背の高い男子生徒を囲んでいるように見えた。
 それからあまり間をあけずに運転手に「おはようございます」と言う声が聞こえてきて、その後に「明史、もう来てたのか」という低い声がした。ちょうど現れたのが友人の一ツ橋智也(ひとつばし ともや・21番)だった。彼はイライラしているのか、メガネのブリッジを押さえつけた。
「メス豚どもが五月蝿いんだけど」
 すべては語らず、ただ百貨店の手提げ袋いっぱいに詰められたチョコの大群をかかげて答えの代わりとした。
「ああ、なるほど」
 今日はバレンタインデーだったな。だからバスの周りに女の子が多かったんだ――とは言わなかった。どう見ても彼の機嫌は悪い。今はそっとしておくのが友人としての勤めだろうと悟った。
 明史は隣にふてくされた顔で座る智也の横顔を見た。自分より高いすらりとした長身も羨ましければ、潤いを持った茶色い髪の毛も羨ましかった。例の校則のために誰もかもが自然な黒髪である菊花学園で、唯一髪の毛の色が違う。地毛だという事を学校に認められたそうだ。容姿もそうだが、その学力にも敬服する。先日一斉に行われた全国統一模試で1位になった。元々はこの学校で一番頭がいい松組の主席生徒なのだ。それが何を思ったか突然最下位クラスの虹組にまで落ちてきた。きっと何か考えがあるのだろう、直接は聞かなかったが、明史にはそう思えた。
 けれどただひとつ残念に思うところがあるとしたら、彼が甘いものが嫌いだという事をリサーチせずに来た女の子達のことを、「メス豚」と呼ぶところだろうか。

「それにしても取り巻きが減らないな」
 前後の余裕がない窓側の席で不満足そうに身体を縮ませて彼は窓の外を見た。
「多分壱花やひいさんや穂高さんを待ってるんじゃないかな? ほら、あの3人はソフト部だから人気者だし」
 明史は思いついたように3人の女子生徒の名前を挙げた。先ほどの栗原壱花、それから同じソフトボール部に所属する桜庭妃奈(さくらば ひな・09番)と穂高いづみ(ほだか いづみ・23番)だ。
「……桜庭や穂高は分かるよ。かたや宝塚ばりの美形にかたや和風ミステリアス。しかもソフトの腕は全国レベル。それに引き換え壱花ときたら……女とは思えないな、ありゃゴリラだ。平気で男を殴るからな」
「でも、壱花と話してるときの智也は楽しそうだけど?」
 明史は皮肉気味に眉間にしわを寄せる智也に笑いかけた。彼は明史のほうを睨むと「俺が?」と逆に問い返された。
 一ツ橋智也という人間は、松組のエリートとして育てられたからか、それとも大病院の跡取り息子として厳しく育てられたからか、自分よりレベルが低い人間を見下す節があった。しかし一目おいた人間には下の名前で呼び合うし、笑顔をむけたことはなかったが、それなりに話していた。
「バカ言え。俺はゴリラの飼育委員じゃねえよ」
 プイと顔を背けてしまった。


「おっはようございまぁす!」
 女子の声がした。それと同時に智也が顔をしかめる。「出た、ブサイクチビ」と苦虫を噛み潰したような顔をして呟いた。
「あ、智也くーん! おはよう! ね、今日はバレンタインデーだね智也君! サヨね、お菓子作ってきたの、食べて!」
 入り口の扉の階段を上がってきて飛び出てきたのは平野小夜子(ひらの さよこ・22番)だった。彼女は彩度の高いピンクと黄色と白のリボンが結ばれた、水玉の箱を取り出して智也に差し出した。
「俺は甘いものが嫌いだブサイク。それに名前で呼ぶな寒気がする」
「ビターな智也君なら、甘すぎるくらいがちょうどいいって思ったんだもん! サヨと中和反応だもん!」
「あー……こいつに水酸化カルシウムでもぶっ掛けたら塩が出来るのかね、明史」
「じゃあサヨと智也君は塩でもいいよ! イオン結合って強いもんね! 共有結合の次に」
「誰もてめえみたいなチビブサイクと繋がりたくなんかねえよ。ツインの毛の先まで全長だとか言ってる低身長とはな。俺と身長差を25センチ以内にしてから出直して来い。じゃないと視界に入らないからな、低すぎて」
 「ひっどーい! 小夜はチビだけどブサイクじゃないもん!」と憤慨しながらも、小夜子はご自慢の高いところに結んだツインテールを気にした。毛先を跳ねさせているため、それがあるだけで随分全長を得しているようだ。
「あと10センチちょっと伸びなきゃかなあ……」
 華奢な細い足元を気にして、ボソリと呟いた。

「ちょっとアンタ、いい加減その口慎みなよ。女の子に向かって平気でブサイクって、人間としてどうかしてるよ」
 小夜子の後ろから現れた柊明日香(ひいらぎ あすか・20番)が口を挟んだ。前髪を長く伸ばして片方しか現れていない片目から智也を見下すが、智也の眼光のほうが何倍も鋭かった。彼女はたじろぐ。
「俺は正しいことを言っているまでだよ根暗。根暗はおとなしくバスの陰でしゃがんでいじけてろ。てめえらみたいな社会の底辺をなぞるような奴は嫌いなんだ」
 おそらく智也は明日香の濃い化粧を見てそう言ったのだろう。なにせ、こんがり焼いた肌にパンダのような目、この学校ではもはや絶滅危惧種となりつつあるギャルと形容される人だから。

「おいお前! 何てこと言うんだよ!」
 更にその後ろから現れたのは今度は男の西園寺湊斗(さいおんじ みなと・07番)だった。顔に張った絆創膏がまた増えたのではないかと思う。
「出ましたゲスの極みの象徴が。だいたいてめえがだらしないからお前の会社の主導権を姉貴に奪われるんだろ? 西園寺グループといえば女系家族で有名だからな。男は代々ダメ人間。ま、こいつがそうなんだから今までもずっとそうだったんだろ? そうやって嫡男として生まれたのに会社引き継げないなんて哀れ極まりないな」
 智也は小夜子以上に顔をしかめてお得意の口車をさらに回転させた。
「んだと!? 黙ってても親の大病院引き継げるお坊ちゃまとは苦労してきた数が違うんだよ!」
「ハァ? 俺が黙ってりゃあの病院引き継げるなんて思ったのか……?!」
 智也は目も口もピクリとも動いていないのに、青筋を立てている。西園寺湊斗率いる不良(この学校では、すなわち退学一歩手前を指す)グループと一ツ橋智也は、犬猿の中、水と油の関係で有名である。隣に座っていた明史は今度こそダメだと思い、立ち上がった。

「やめろ! 罵倒の応酬はよくない。湊斗も柊さんも落ち着けよ、それじゃぁ売り言葉に買い言葉だ。智也も、それは少しきつい言葉だ」
「明史! 松組から転落してきた異端児に味方すんのかよ!」せっかく仲裁に入った明史の説得に湊斗は反発した。
「でもその異端児をどうして排斥しようとするんだ? どうして受け入れない?」
 明史に真っ直ぐ睨まれて湊斗は黙りこくる。湊斗はヨソ者である智也のことが気に入らないのだ。一方で智也は涼しい顔をして何事もなかったかのようにそっぽを向いている。
「明史に免じて引くけど、あやまらねーからな! 俺が悪いわけじゃない」
 彼は小夜子と明日香を引っ張って一番後ろの席までずんずん向かった。がっしりした後ろ背が、汗をかいていたように思える。

「負け犬には吼えさせときゃいいだろ、明史」
「そういうわけにもいかないでしょ……」
 バスの後方でやさぐれている(小夜子だけはまだ顔を赤らめてぼんやりしている)彼らのグループをちらりと振り返って、もう一度前を見た。
「智也、お願いだから合宿で変に騒がないでな……」
「俺に言うな、あのゲスどもに言え。俺は悪くない」
 明史は深いため息をついた。この2泊3日の勉強合宿の行く末が、本当に、本当に不安だった。
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