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こんなにも、愛しているのに
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20:2008/02/15 AM11:40


 地図でいうところのD-8エリアにある小学校は、このプログラム会場となった上田市でも最も大きな小学校である。趣深い校舎ではあるが、規模も都会の小学校と比べたら大きく、また校庭も広く取られていた。
 今回生徒たちを集めたのは2階の階段すぐそばの教室。本部から送られてきた兵士の統率役である綾小路(男兵士)と右京(女兵士)が西園寺湊斗(07番)と柊明日香(20番)を教室内で殺害し、教室から逃走した菊川優美(04番)を兵士が射殺した。

 年に50クラス行われる“正規の”プログラムの統計によると、ほとんどすべてのプログラムで生徒出発以前に誰かが兵士や担当教官によって殺害されている。今回のプログラムは高校生対象という“異例の”ものではあったとはいえ、殺害傾向は中学生対象のものと何ら変わりがないと思われる。
 冷泉院閏(担当教官)は更衣室として用意された保健室の鏡に自分の姿を映し出し、ため息をついた。
 上司から担当教官としての任務を与えられたのはほぼ半年前。プログラムの決定とほぼ同時だったようだ。しかし今回のプログラムルールとしては一般的なプログラムと何ら変わりがない。それほど速い段階で通告や周到な準備をしなければならないわけではなかったようだ。

 なぜ、プログラムを高校生で、と冷泉院自身も尋ねたことがある。当然黙殺されたが。
 たとえ上司といえどもこの国にとってはパーツの一つでしかなく、全て総統のみが知るということらしい。だから閏も塚本雫(15番)に「中学3年生は過ぎたのに、なぜ」と詰問されても「訳あって」としか答えることができなかった。


 冷泉院は気味の悪い仮面を外して鏡を覗き込んだ。長い間磨かれていないような水垢に満ちた鏡の向こうでも、凄惨な皮膚の爛れたありさまが未だに残っているのがわかる。整形手術を受ければ消えるような傷であっても、閏は消すつもりはなかった。それなのに、仮面をかぶって秘し隠す。矛盾しているとはわかっていたが、それでもやめなかった。

 人は、仮面をかぶっている。
 それは閏のように誰の目から見ても明らかであるかもしれないし、他方目には見えないものかもしれない。いたわしや、人は多くの仮面を使い分けることができる人ほど、長く賢く生きることができる。
 本当の自分など、ないほうがずっと楽なのだ。多くの仮面をつけて生きなければならないこの時代に、本当の姿を探そうなどもはや手遅れ。時間の浪費でしかない。仮面は仮面として生きるべきなのだ、と。


 唐突に、ノックの音が聞こえた。返事をすると、右京の女性にしては低い吃り声が聞こえてきた。どうやら報告したいことがあるから支給本部教室まで来てほしいということだった。本部教室は1階の職員室を間借りしてある場所だ。
「着替えたらすぐに行きますわ」
 馬鹿丁寧な言葉遣いで答える。これも仮面の一種にしかすぎない。冷泉院閏という名の仮面の。
 冷泉院は深紅のドレスを脱ぎ、細身のワンピースに着替えた。さすがに2月中旬だけあって凍えるように寒い。厚めのストッキングを持ってきたのは正解だったようだ。ワンピースの上からはボアファーの襟巻とラビットニットコートを羽織る。ドレスは礼服なのできれいにハンガーにかけて保健室のベッドのカーテンレールに下げた。

 最後に鏡を見て仮面の位置を調節する。関西圏の若者の様にゆるく巻いた長い茶髪をまとめ、確認した。
「私は、冷泉院閏」
 あまたの仮面の中から冷泉院閏とラベル付けされたものを引き出し、張り付けた。


 廊下に出ると氷のような冷気が気管を凍えさせた。その中で妙に生臭いにおいをかぎとれた。廊下の突き当りに積み上げられたオレンジの寝袋のような袋、ソルジャーズバッグだ。においの元はあれだろう。ご丁寧に3つ積み上げられたそれは、人の大きさほどの長さがある。深く考えずとも西園寺湊斗、柊明日香、菊川優美のものだとわかった。遺体は通常腐敗を防ぐために遺体保存用の冷凍庫に入れておくべきなのだが、おそらくまだ冷凍庫がその温度になるまで運転していないのだろう。今の季節なら廊下に出しておいても数時間は腐敗が進行しないという判断からか、彼らの遺体は放置されていた。
 一度だけ見たことある遺体を入れる冷凍庫。それはレストランなどで使うようなものとはケタ外れの大きさのものである。これより先、20人分のソルジャーバッグが積み上げられ、プログラムが終了次第、各家庭に返される。あるものは首を折られ、あるものは体を蜂の巣のようにして帰宅する、そんな姿を見た家族は、憤慨しないはずがない。
 遺体が四散していないだけマシといったところだろうか。閏は仮面の裏側でため息を漏らした。


 職員室は1階にある、通常の教室2つ半ほどの広さの場所である。プログラム会場となるエリアはライフラインを止めてあるが、ここだけは例外で、自家発電用の機械を持ち込んで発電を行っている。でなければ生徒の首輪から発せられる微弱な電波をキャッチすることも、禁止エリアの管理をすることも、ましてやこのエリアを高いと区切っている網に流れる電流もコントロールできない。
 この管理機能を維持するためには最大限の配慮を考えている。温度の管理もそうだが、電源のブレーカーメーターも気にしている。ここはいわゆるプログラムのブレインなので、寸分の狂いや不調も許されないとの話だった。
 兵士はおおよそ80名ほど派遣されてくる。それを大まかに3つのグループに編成し、一番人数の多いグループはエリア外から脱出する不穏分子を射殺する役目を背負っており、2番目はこの学校の周囲の見張りをお願いしている。そして最後の一つはこの職員室で生徒情報の管理を行っている。プライバシーという言葉はこの場所には見当たらない。生徒の首に巻かれた首輪は彼らの心臓パルスや位置情報を転送するのみならず、これは生徒に伝えられていないが、首輪には小さなマイクが内蔵されており、彼らの会話を盗聴することができる。

「右京さん、先ほどの報告をお願いできますか」
右京は生徒情報を管理する兵士たちの統括を行っている。盗聴や行動記録のうち、気になる情報は末端兵士からすぐに右京につたえられる。彼女はそれを閏に伝えるのだ。右京は厚ぼったい唇を細く開いてぼそぼそと呟き始めた。
「06番を中心とする会話の中に『脱出』という単語あり。重要なキーワード」
 黒木明史(06番)のことか。冷泉院はディスプレイに写った盗聴記録の時間を確かめる。

 プログラムが始まる前に把握した生徒像を手繰り寄せた。祖父、父親(ただしすでに亡くなっているが)ともども議員であり、山口県有数の権力者と言える。現在は両親を亡くし寮で一人暮らし。
 プログラムの統計結果から、脱出を試みた人物は過去に多くいるが、実際に成功した例は著しく少ない。成功した例では、主導した生徒の身内や繋がりがあった人が反政府団体に所属していたり、政府関係の人間から抹殺されたりなど、少なからずとも政府に恨みを持っているのは確かだ。

 黒木明史はクロか?断定するには情報が少なすぎたようだ。閏は「少々様子を見ましょう、プログラムは始まったばかりです。そして彼の身辺調査を電話で上司に依頼しましょう」と言って右京に引き続き警戒を怠らないようにと伝えた。


「あひゃひゃひゃひゃ! こーれは、遂に俺の部隊が活躍するときじゃないのー?」
 どこから現れたのか、急に閏の背後から背筋が凍るような卑猥な声が聞こえてきた。振り返ればすぐそばに口角を釣り上げて笑っている男兵士・綾小路の姿があった。呼びもしないうちからやってくるなんて、と閏は仮面の下から舌打ちをした。仮面の目の部分は外からは見えないような作りになっているので、綾小路からは閏の視線が見えない。
「もし奴らが脱出するようなことがあるなら、R.P.Gで原形をとどめないほどぶっとばしてやるぜ! あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
 エリアの外を警備している兵士たちを統括するのはこの綾小路だ。彼に人望はないが、恐れはある。彼の一声が鶴の一声とならんことを祈るばかりである。

「現段階ではまだ断定することはできません。くれぐれも早まった行動は慎むようにしてください。これはお願いではありません、あくまでも命令です」
 釘を刺さなければならなかった。もとより綾小路は上層部にもその粗暴さが届いているほどだ。面識は以前よりあったが、幸か不幸かほかの誰よりも綾小路は閏に懐いたので、粗暴さに関しては事無きことを得た。以前は誰の命令にも従わず、軍事的能力だけを頼りにここまでのし上がってきた男だ。意に介さない、政府による殺人がこの男によって行われてしまっては困る。

「別にいいよぉ? 先生の言うことならぁ、絶対約束してやるよ~」
 縦にも横にも広い体を最大限に使って感情を表現するのはこの男の特徴だった。そんな態度を示すのも、この男にとってただ一人、冷泉院閏に対してのみである。閏の前では、この凶暴な男も猫のようにおとなしくなってしまう。


「そう言えばあの『プログラム経験者』、どうしたかなぁー。ねえ、先生?」
「……さあ、いかがでしょうか」
「あいつの資料見たらさぁ、結構エグい事してるんだよねー! あいつの監視もしといたほうがいいんじゃねーの? あひゃひゃひゃ!」綾小路は肩をすくめて嘲笑した。

「プログラム経験者ってさぁ、総じて何しだすか分かんねえしさぁ!」
 片方の肩にライフルを下げた彼は一歩一歩ゆっくりと近づいてきた。趣味の悪い迷彩服のはだけさせた肌色からは男の匂いが漂う。閏は動けずにその場に立ちすくんだ。
 綾小路は閏の耳元でささやく。「俺も、先生も」


「私は何もしません。今も、この先も」
「さぁて、俺はどうかな?」
 ケケケ、とカラスが鳴くように卑しい笑いを漏らしたあと綾小路はその場から離れて行った。
 末恐ろしい男。閏は仮面越しに彼の背中を凝視した。
「プログラム経験者は……現在移動中」
「そうですか……」
 冷泉院閏は、大きな電光掲示板に地図と生徒の位置情報を示す青い点を見つめた。

脱出計画――ノア、それにプログラム経験者――


「先生、そろそろ正午の放送の時間……」
右京がつぶやいたので、閏は進行状況資料を受け取り、頷いた。



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